苛々しながら乱暴に自室の扉を開けて、ルックは我が物顔でベッドを占拠しているストレスの元凶を捕捉した。
夏至を過ぎた頃からめっきり暑くなったのも魔法兵団のスキルがなかなか上達しないのもみんなまとめてこいつのせいだとばかりに力を込めてその背中を睨み付ける。
今日こそは我慢ならない。
その視線が人を石に変えるというメデュウサの如き鋭利さで、ルックはトランの英雄を思い切り睨んだ。
苛々しながらベッドに四肢を投げ出して、アスフェルはバンダナが落ちるのも構わず頭を掻き毟った。
そのまま前髪を掴んだ手のひらを額に乗せ、唇を切れるほど噛み締める。
レストランのランチセットが糞不味くなったのも風呂場で寛げなくなったのもみんなまとめて彼のせいだ。
もうこれ以上我慢できない。
近付いてきた部屋の主の気配と足音を耳にして、アスフェルは扉と反対側に体を横向けて壁を睨んだ。
「おまえら、今度は何が原因なのよ?」
本気の戦闘状態に縺れ込んだ二人の間へ強引に割って入り、切り裂きと手刀を同時に受けた名誉の負傷をダシにして、何とか二人を人けのない屋上に引っ張ってきたシーナの第一声である。
不穏な空気を感じ取ったフェザーが早々に離脱し、シーナは取り残された気分でコンクリートの床に座り込んだ。
ルックとアスフェルも不承不承それに倣う。
「一応ここ同盟軍の拠点だからワンフロア丸ごと潰されたら困るわけ。おいアスフェルそっぽ向くな。ルックは転移しないの。……まったく、何をお互いかっかしてんだよ」
とりあえずルックに魔法で手当てしてもらった腕と首筋をそれぞれさすりつつ、午後のデート予定は全部ぱあかと泣きたい気持ちを堪えて、シーナは努めて優しげな声で問うた。
真持ち二名が破壊活動中、との速報を受けた盟主リツカと軍師シュウの隣に、たまたまアップル狙いのシーナが居合わせたのは不運としかいいようがないだろう。
否応なく仲裁役を任じられ、その手の経験に造詣が深いシーナは最も効果的と思われる手段を取ったのである。即ち自身を犠牲にして。
「だってこいつが!」
「ルックがいきなり!」
左右から同時に言い募られ、ここで吐いたら運の尽きと寸前まで上ったため息をぐいと飲み下した。
「わーかったから!いっぺんにしゃべんな! な? まずルック、どうしたんだよ」
「だってこいつが……僕がいなかったら遠征に行かないとか言い出すし、リツカに泣き付かれて仕方なく探しに行ったらあっちこっちで愛想ばっか振り撒いてるし、城内をさんざんうろちょろされてどこ行ってもソウルイーターの気配がぷんぷんしておまけにちょっと目を離した隙に見失うし、もういい加減どうでもよくなってきて戻ってみれば勝手に人の部屋へ上がり込んでるどころか土足でベッドに」
右から撒いてないだの俺の勝手だのぶつぶつ聞こえたがシーナはすべて黙殺して、ルックがついにふて腐れて口を閉じるまで忍耐強く聞いてやった。
「なるほどな。ルック朝からやたら歩き回ってただろ、気になってたんだよ」
「それもこれもみんなあいつが」
「うんうんわかったから。んでアスフェル、お前はどうなの」
「どうもこうも、全部ルックの言い掛かりじゃないか。確かに勝手に部屋に入ったりして悪かったけど、もうルックの部屋くらいしか他に隠れ場所なんて思い付かなかったんだよ。最近グレッグミンスターに来ないから心配してこっちへ泊まりに来てるのに、ひっきりなしに知らない人に絡まれるし植木鉢投げられるわ水掛けられるわ刃物飛んでくるわ納戸だけでなくトイレにまで閉じ込められるわ、もちろん全員脅し返してやったけど」
「お前な……」
脅すのはどうよと諭すもシーナの良識はアスフェルに届くはずがなく、俺は被害者だと拗ねて黙り込んでしまった。
「ずっと前から言おうと思ってたけどあんたここへ何しに来てるわけ?」
「ちょっ、ルック」
「見ればわかるだろ、影ながら同盟軍を手伝ってるの」
「遠征行かないで何を手伝ったつもりなのさ」
「少なくともこいつよりは働いてるだろう」
「えっ、アスフェル、おまっ……」
「シーナ以上だからそれで自己満足? あっそう、じゃあ僕は忙しいからしばらく顔見せないでくれる」
「そうやって何でも自分でやろうとするから心配なんだって言ってるじゃないか」
「あんたはいろんな人にとっかえひっかえちやほやされて意気軒昂だろうけど、生憎僕は甘やかされ坊っちゃんじゃないんでね」
「あのね、何で俺がこんなにも陰湿な目に合ってるかわかってる?」
「働かないからでしょ」
「おいコラ、ストーーーップ!!!」
両脇で臨戦態勢に入られたためやむなく二人の顔前に手を広げ、シーナは何とか会話に割り込んだ。
ルックは怒りにたぎった目でアスフェルとついでにシーナを睨み付けており、アスフェルは冷え切った眼差しをもってルックとついでにシーナを突き刺している。
「ふたりとも落ち着けって……」
「我慢できない!」
寸分のずれもなく揃ったふたりの声に、シーナは仲裁を諦めた。
軍主命令でルックを部屋に、アスフェルを客間に閉じ込めて、ようやく城内は静けさを取り戻した。
濃いコーヒーを二杯注文して座り込んだレストランから暮れなずむ空を眺め、壁を補修するかんかんという音を遠く耳にして、シーナとリツカはどちらからともなく嘆息した。
「どうしてあれでお互い気付かねんだかなぁ……」
「痴話喧嘩以外の何ものでもなかったね……」
結局、互いに相手の行動を読み違えているだけである。
戦場でだけでなくあらゆる面において常に的確かつ聡明な判断のできるふたりだが、互いのことになると自慢の眼力も曇るようだ。
「ルックが嫉妬するなんて考えらんないねぇ……」
「つうかルックは自分でも論点をすり替えてるからな。レックナートさんがこっち方面のまともな躾をするような人にも思えねぇしよ」
「アスフェルさんも鈍感でしょ、端から見ててあんなにもルックわかり易いのに」
「あいつこそ恋愛とは無縁のぼんぼんだろー。でも自覚してるだけルックよりましなんじゃねぇか」
「えええええ、自覚してたんだあのひと!」
大きくなった声が反響して周囲の視線が一斉に向いたので、とっさに口を押さえたリツカは周囲を見回してぺこりと頭を下げた。
ちろりと舌を出してみせると、リツカは身を屈めてひそひそ話し出した。
「シーナ、ほんとに?」
シーナも同様に小声で返す。
「そりゃああいつ、解放軍時代からの筋金入りだぜ。ルックの前でだけあからさまに態度違うだろ」
「それはそうだけどさー……」
「あれ昔からだかんな。でよ、こないだ酒の勢いで聞き出したんだがな、三年ぶりに再会したら自分の気持ちとやらがはっきりしたらしい。……馬鹿すぎるだろ……くくく」
声を潜めても笑いは抑えきれず、リツカはシーナにつられてにやにやしてしまった。
「でもルックの気持ちには気付かない?」
「不思議だけどよ、そこがアスフェルの初々しいとこだよな。あいつの信者に見せてやりてぇ」
運ばれてきたコーヒーに一時会話を中断し、リツカはミルクとシュガーをどばどばと混ぜた。シーナはほんの一滴だけミルクを落とし、互いにしばし無言で啜る。
「……ぼくアスフェルさん尊敬してるんだけどなー……」
呟いて、リツカは天井を仰いだ。
「まさかあんなに大人げないなんて…」
「まぁまぁ、あいつも人間らしくなったっつうこった。昔はそれこそ完全無欠の解放軍主、ルックとよく一緒に居はしたけど夜を徹して戦略練ってた、とかな」
「えー、色気なさすぎ」
「俺は今のアスフェルの方が好きだぜ。こうやって怒ったり呆れたりできるのも新鮮でイイじゃん」
「うーん、被害が出なければ……」
「そこだな……」
応援したいのはやまやまだが命が惜しいと、二人は脱力して背もたれに頭を乗せた。
噂に長い尾ひれがついて、いつの間にかリツカをめぐるお茶の間愛憎劇にまで飛躍していたことを知ったルックとアスフェルが揃って激怒するのは数日後のことであった。