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朝から香ばしい匂いがする城内というのも、およそ戦いのイメージから程遠いのではなかろうか。
重たい頭でぼんやり考えて、アスフェルは首を垂れた。
早朝というより深夜という方が正しい時間、突然来訪した天然姉弟(勿論ルック付き)に否応なく引っ張り出され、いつもはレベル上げだの交易だのと徒歩で帰路小旅行になるところを今朝は珍しくバナーから瞬きの手鏡で戻った本拠地には、甘い香りが満ちていた。
何でも秋のケーキパーティーということらしい。
ある意味ありがたいお誘いではあるが、それにしても非常識姉弟である。
リツカの場合はこの愛らしさが同盟軍を支える一因でもあるので、譲歩して玉に瑕とでも言うべきか。
どう都市同盟に出向く口実を作ろうかと思い悩み、あれこれ試して昨夜ほとんど睡眠を取っていなかったアスフェルは、呆れる気力もなくして朝日の差し込む石版前に座り込んだ。
隣には背をぴんと伸ばしてきちんと立っている石版守がいる。
朝日を受けて輝く翡翠の瞳についほだされて笑んでみたら、眉を顰めた小さな魔術師に思う存分毒舌を浴びせられてしまった。
「あんたもお人好し過ぎるよ。リツカが何考えてるかって、秋にはイベントがないから第二のバレンタインを作るんだとか女性陣を盛り上げるにはあんたが必要だとか、ほんとに、戦争に関係ないことばっかりやたら知恵が回るんだから」
「まぁ……俺も甘いもの嫌いじゃないし」
とにかく眠い、とアスフェルは目頭を押さえて石版にもたれた。
アスフェルの手がグレッグミンスターから持ってきた小袋をたまに撫でるのを目に入れて、その優しげな手付きに何故かざわざわしたルックは、紛らわせようと彼にしては穏健な他愛もない話を続けた。
傍迷惑姉弟の思い付きでケーキパーティーが開催されることに決まったのは昨日の午後であるという。
リツカの跳ね返る声で全員参加ね!と通達されたものの、同盟軍の行事として予算を組んだりするわけではないので、各人がいきなり降って沸いたイベントを若き盟主のために成功させてやるべく東奔西走するのみである。
城中の者は皆ケーキを作っているかケーキに添えたりお返しに渡したりする花を調達に行っているかで、石版前はレストランの喧騒も遠く意外にしんとしていた。
時折焦げた匂いが漂ってきて、何とはなしにふたり顔を見合わせて苦笑する。
ケーキ作るのって時間かかるよねぇと、さも経験者の如くしみじみした声のアスフェルに、ルックは訝しげな目を向けた。
いつになく反応の鈍いアスフェルは、下を向いて心ここにあらずといった風である。
「アスフェル?」
「実は、俺にとっても好都合だったんだ」
睡魔にへたれていたアスフェルが、突然上体を起こした。
隈さえも美貌を際立たせる小道具になってしまうアスフェルの瞳は、星が飛んでいるのではないかと覗きたくなるほどきらきらしている。
「そんなにケーキが食べたかったの?」
どこか悪戯っぽい笑みを上らせているアスフェルに、ルックは白けた顔で応えた。
不穏な気配を感じてアスフェルの瞳を探る。
アスフェルは傍に置いていた小袋を何やらまさぐり、かわいらしくリボンで結わえられた小さな包みを取り出した。
「作ったんだよ。偶然。はい、ルック」
桃色の包み紙にマリーゴールドをあしらったそれを、アスフェルはルックの掌にちょこんと乗せた。
甘い香りがふわりと鼻をくすぐり、花色の包装と相まって実に可憐である。
「何、これ」
「ケーキ」
「……」
「ルック、甘いもの好きだろう?」
「べ、別に」
「あれ? 好きだよね?」
「……辛いのよりは」
実は、ルックはかなりの甘党である。
育ての親の情操教育の賜物で好きとか嫌いとかいった感情をよく理解していないため、そういえば甘いものは食欲が湧く気がするがこれが好みというやつなのかと納得しながらルックは小包を開けてみた。
パウンドケーキが三切れ、見事な黄金色に焼けていて、上に乗せられた果実もちょうど良く焦げ目が入って蜜色にてかっている。
アスフェル=マクドールという男は、何をしても器用に完成度の高さを見せ付ける万能人間なのである。
「紅茶ケーキなんだけど、りんごも入ってるんだよ、グレミオのお勧めケーキ」
はにかんだような、幼く見える笑顔でアスフェルが説明した。
ケーキからは華やかな香りが広がって、うっとりした心地になる。
昨晩アスフェルが睡眠時間を削ってまで試行錯誤していたのがこのケーキで、同盟軍へ頻繁に通うためリツカならおやつで丸め込めるだろうという姑息な手段を考えていたのであった。
趣味はお菓子作り、を装って新作ケーキを焼く度に披露することにすれば、ネタが尽きるまで足繁く訪れることができる。
たかが一週間ご無沙汰していただけだが禁断症状を感じていたアスフェルの、アスフェルらしくなく浅慮な策であった。
何種類か作ったところで己の愚かさに嫌気が差して止めてしまったのだが、ケーキパーティーと重なるとは幸運としか言い様がない。
もっとも、アスフェル自身はとことんツキに見放されているので、リツカの運が良かったのであろう。
味見してと目で促され、ルックは一切れ食べてみた。
「おいしい……」
思わず呟いて、ルックは口元をほころばせる。
目を丸くして味わうルックに、そりゃあ一昨日の晩からあらゆる種類のケーキを作り通しだからと暴露するのは控えて、アスフェルは謝辞だけを述べた。
「他にもいろいろあるんだけど、ルック、食べてくれる?」
こくと頷いたきりルックは二切れ目のケーキに夢中になってしまう。
アスフェルの隣にすとんと座り込んだルックを愛しげに見守って、アスフェルはまんざらでもなかったかと昨晩の労苦を偲んだ。
ふと息をついたルックの唇が蜜で艶めくのを見付けて、それ以降わざとしっとりしたデザートばかりを作るようになったのはご愛嬌である。