第2話 煙突・靴下・恋人





ばたんと、勢いよく部屋の扉が開かれた。
「ルック、クリスマスって言うんだって!」
外から行儀悪く扉を蹴ったのは、象牙色の袍へ濃緑の外套を羽織り、さらに上から白いマフラーをぐるぐる巻いたアスフェルである。
女将に借りた長靴は階下で返してきたらしい。
三毛猫を模した何ともいえずもこもこしたスリッパを履いている。
両手には大量の買い物袋。また何かくだらないものを大人買いしたのだろう。
漆黒の髪へ雪が積もって濡れているのを、ルックは顎で暖炉を示して乾かすように勧めた。
「下の食堂へ掛かっていた緑の輪っか、気になっていただろう? ここの廊下にも」
ルックは曖昧に首を傾けた。
アスフェルは買いこんで来た袋をまとめて入口の近くに置いてしまう。
マフラーと外套を手早く剥いで、暖炉の側へ寄せた椅子の背に投げる。
テーブルの下はちょっとした収納棚になっていて、アスフェルはそこからタオルを一枚取り出す。
頭を下向けた拍子に雪が床へ落ちた。
濡れた髪の合間、アスフェルの耳元がちかりと白く輝いた。
アスフェルは手早く髪を拭きながら出窓のもみの木を指して、これもね、と楽しそうに言った。
「クリスマスにはリースっていう輪を飾って、このもみの木はクリスマスツリーだそうだ。ツリーはてっぺんに星を付けて、枝にはモールや蝋燭や、他にも林檎とか好きなものをいろいろ吊り下げる。もともとは何かの宗教行事だったらしいけれど、すっかり形骸化してしまって、とにかく常緑樹を使った飾りつけをいろんなところに施せばいいらしいよ。それで今年一年無事に過ごせたことを祝うんだって」
アスフェルは次々とまくしたてた。
常よりも早口ではあるが、もともと穏やかな話し方をするためそんなに浮ついた感じは受けない。
それでもいつになく浮かれているのがアスフェルのほころんだ目元から察せられた。
「クリスマス、って言った? クリスマス? ……どこかで読んだ気がするけど」
アスフェルが扉を開けたせいで、せっかく室内に溜まりかけていた暖かい空気が散ってしまった。
ルックはぎゅっと布団にくるまったまま記憶の糸を辿る。
確か相当昔の書物で、聖者の降誕を祝うと書かれていた気がするのだが。
ルックが告げると、アスフェルはそうなんだと目をしばたかせた。
「俺もどこかで読んだ気がするんだ。……何とかクロス、が出てくるんじゃなかった?」
「聖者はJesusとかって名だった気がするけど……、あぁ、Christだ、クリスマスがChristmasだから」
思い出した。
ルックは宙に指で綴りを書いた。
「それ、何語? ルックが言うならそれだな」
「滅びた言語だよ。僕が読んだのはさらに昔滅びた言語の翻訳本が大半だけど。クリスマスの習慣は、Christianity……ええと、訳すとキリスト教でいいのかな、の一派が布教のためこの時期に昔からある太陽の新生を祝う冬至祭と融合させたものである。……だったはず」
どちらにせよ滅びた文化だ。
ルックは薄く笑った。
アスフェルにはこれでもルックにしては笑っている方だと解釈してもらえるから、すぐ顔の下半分まで毛布に埋もれさせる。
アスフェルは頭や肩の雪を拭き落として、タオルをぽんとテーブルに放った。
鼻の頭が少し赤い。冷たそうだ。
アスフェルは鼻に手の甲を当てながらルックの傍へ寄ってきた。
「そのクリスマスには、暖炉に靴下を飾るんだって。そうしたら寝ている間に天使がやってきて、幸運を詰めてくれるんだ」
アスフェルはルックへ手を伸ばした。
ひやりとした冷たさが頭に伝わり、ルックは思わず首を縮めてしまう。
アスフェルは構わずルックの髪へ指を差し入れてきた。
するするとアスフェルの指に髪が滑った。
毛布にもまれていた毛が解され整えられる。
心地よい。
ルックはくすぐったさを紛らわすように問うた。
「何で暖炉なのさ」
「天使は煙突から出入りするんだ。外に通じているのは煙突しかないからね。天使のために窓を開けていたら寒さで凍死してしまう。普通この時期はどこも閉まっているだろう」
「わざわざ家に入らなくても、玄関前でいいんじゃないの?」
それに、煙突をいちいち潜って煤がつかないのか、もし暖炉にまだ火がくべられていたらどうするのか。
ルックの他愛ない疑問をアスフェルはくすくす笑って聞き流した。
儀式だからもともとは何か意味があったのだろう。
今となっては知る術もない。
もっとも、ハルモニアの宮殿にでも行けばすぐ調べられるが、ルックたちにとっても、そして村の人々にとっても、由来はあまり問題でないのだ。
雪で閉鎖された寂しい山村を少しでも賑わせる、心温まるしきたりであればそれで良い。
夜はささやかなお祭りがあるんだって、とアスフェルは目を輝かせた。
「あんた、参加したいとか」
「言わないよ。俺が期待してるのは別の方」
「別って?」
「今は秘密」
アスフェルは唇を舌で舐めた。
嫌な仕草だ。
面倒くさそうにルックは眉をひそめた。
アスフェルがこういった思わせぶりな仕草をする時は、大概ルックが疲れる何かだと相場が決まっている。
とりあえず長年の経験からひとつくらいは対策を講じておくルックである。
「僕、それ行ってもいいよ。どうせ夕ご飯は下で食べるんだし」
「えっ」
「何その顔」
「いや……ルックが言うなら……」
アスフェルはもの凄く残念そうな表情をした。
そして、それを隠そうと歯切れ悪く言葉を紡いだ。
いつの間にかルックの髪をいじっていた手は下に落ちている。
ルックは毛布を広げて、しょんぼりした冷たい手の上に端を乗せてやった。
「ルック」
とたんにアスフェルがご機嫌な笑みを浮かべた。
「じゃああと一刻もしたら行こう。祭りは宿屋の前の広場で、今大きなもみの木が立てられてる。クリスマスには七面鳥とシャンパンなんだって。宿の食堂でも食べられるけど、外で食べる方が楽しそうだよ」
アスフェルはすぐさま今夜の作戦を切り替えたようだ。
とことん頭がよく回る男である。
どうせ何をどうしても結局ルックは疲れることになるだろうから、ある程度は観念するしかないようだ。
それに、アスフェルは本当は祭りに行きたがっている。
でもルックが嫌がると思って、行かなくてもいいようにあれこれ考えてきたのだ。
どんな形であれ、初めての行事に参加してみたいと今夜を心待ちにしているアスフェルは、それはそれでちょっとかわいいところもある。
そわそわする様子なんて滅多に見られるものではないのだ。
(愛しい、……のかな、これも一応……)
ああ、欠点だらけの恋人からようやく今日のいいところを見出せたかもしれない。
ルックは目尻を下げた。
と、すぐさま頬へアスフェルの唇が近づいた。
「ちょっと、何すんのさ」
「今、俺のこと考えてなかった?」
「さぁね」
ルックはふいと目線を逸らした。
ルックがいるのは窓際のベッドだから、顔を背けると出窓のクリスマスツリーがレース越しに見える。
そしてクリスマスツリー越しに窓ガラスへ映る、アスフェルの嬉しそうな顔。
本当にこの男は。仕方がない。
ルックがかすかに笑むと、アスフェルはルックの毛布を捲って覗き込んだ。
「ルック。服、朝そのままで行っただろう」
「……いいじゃない」
「寒いからってあんなに言ったのに。祭りは日が落ちてもっと寒いから、俺が精魂込めてありとあらゆる布でミイラ巻きにしてあげよう」
アスフェルはにこにこと言った。
やっぱり祭りへ行くことにして良かった。
装飾された窓辺のもみの木を見た時から、好奇心の軒並み高いアスフェルは必ず興味を持つと思っていたのだ。
この果てしない旅はほとんどルックの覚悟に付き合わせているようなものだから、たまにはアスフェルのしたいことをさせてあげたい。
ルックは今度こそ内心を悟られぬよう目つきを鋭くした。
「前みたいなのは嫌だからね、絶対」
「ああ、あれもかわいかったね。全身真っ白で帽子だけ赤い雪だるまルック」
「あんた、しかもお腹のところが丸く出るよう巻いて」
「そうそう、子供たちが大喜びしたんだ。かわいい方のお兄ちゃんが雪だるまになってくれたって」
「性悪」
「虫除けだよ」
「あんたが一番五月蝿い蚊じゃないの?」
「蝿じゃないだけまだましだろう。ねえ、じゃあ吸ってもいい?」
「駄目! ……今は」
ルックはアスフェルの顔を両手で押しのけた。
消える語尾をきちんと聞き取ったアスフェルは、されるがままにベッドから落ちる。
くつりと喉の奥で笑う音がした。
「ルック、かわいい」
腑抜けた物言いは無視だ。
だって、ルックの顔は、皮肉で応酬できないほど真っ赤だから。
代わりに体へ重ねていた一番中側の毛布をアスフェルに投げつけた。
一番温もっている一枚を、あんたに。
「それで我慢しなよね」
ルックの照れ隠しはたいていうまくいかない。
ありがとう、とベッドの下から声が届いた。
ルックは余計熱くなる頬を抑えられなくなった。







第2話は早速暴走気味の英雄が登場です。
この時はまだちょびっとしかヘタレていませんが…。(よね?)
幻水世界にはクリスマスの習慣がないという気持ちでおりますので、作中に出てくるクリスマスの風習は一部わざと捏造しています。
細々と田舎で伝承されるうちに作法や意味合いが変わって伝わってしまったという雰囲気を感じていただければ幸いです。

20051214