「ルック、今日はすごいお知らせだよ」
「……何なのさ……僕眠いんだけど……昨日遅くまで一緒だったんなら察しなよ」
「ルック、それ、非ッ常ーに、いやらしく聞こえる発言」
「どこが?」
「夜じゅうずっと一緒って、普通は」
「ずっとあんたの部屋で演習メニュー考えてたじゃない」
「そうだけれどね……。まあいいか……。何と!! 夕凪大地がついにご来訪者様二千人を突破しました!! ありがとうございます!!」
「ふうん。……あんた、棒読みしてない?」
「管理人にこびを打るくらい何でもないよ」
「最低」
「それくらいなりふり構ってられないって好解釈して?」
「八方美人ってまさにあんたのためにある言葉だね。僕、言おう言おうと思いつつ黙ってたことがあるんだけど、この際だから言うよ。あんたのどこが美形なのか全然わかんない」
「俺も自分の顔に見とれたことはないけれど、一般的に、ほら、この柔らかい目元とかすっと通った鼻梁とか、整ってる方じゃない?」
「さぁね」
「ルックって実はあんまり美人じゃないよね」
「……(自分の顔は嫌いだからいいけど何かこいつに言われるとむかつく)」
「雰囲気が美人なんだよね。清楚っていうか透明っていうか、いい表現が浮かばないけれど」
「好きにすれば」
「ちょっと、ルック、まだ帰らないで。ちゃんとお礼を言わなきゃ、ね」
「アリガトウゴザイマス」
「可愛げがない。心込めて」
「嫌」
「俺が見本を見せよう。皆さん、いつもお越し下さって本当にありがとうございます。皆さんあっての夕凪大地、皆さんの一クリックがいつもあたたかい叱咤激励です。これからも俺とルックのためにご来訪下さいね」
「……後半変じゃない?」
「ルック、夕凪大地のコンセプト知ってる?」
「!! もう行くから!」
「一緒に行こう。これから昼食だろう、ルックにはしっかり食べてもらわないと」
「あんたとは胃の容量が違うんだよ」
「はいはい、じゃあせめてサラダだけじゃなくパンも食べようね」
「……」
「ん? お子様ランチがいい??」
「午後の演習、覚えてなよ……」
「挑戦はいつでも受けて立とう、ルックなら大歓迎」
「馬鹿言ってないで行くよ」
「了解」
「あ、演習の二番目だけど」
「最後の突撃と変えた方がいいよね」
「あんたもそう思ってた?」
「あと、三番目、ルックのところを……」
「いいんじゃない、それで……」
(以下仕事話が続く)
「こんにちは、アスフェルです。2000hitを祝して、管理人からちょっとしたお礼があります。俺とルックのすれ違い2000、だそうです。意味がわからないよね、本当に管理人は……。是非皆さんに俺のけなげな心意気を見ていただきたいと思いますので、よければもう一度拍手を下さい。俺が先へご案内いたします」
翡翠の耳飾り。
思わず手に取ってしまった。
派手ではなく、小指の爪ほどもないくらい小さな翡翠だ。
くすんだ金色の金具へそっと一粒あしらわれていて、品のあるデザインである。
「坊ちゃん、それが気に入ったんですか?」
付き人が尋ねてくるのへ、アスフェルは曖昧に頷いた。
気に入ったのではなく気になったのだ。
雫の形をした一対の宝石を光にかざしてみる。
交易所の一角、薄暗い店内のほのかな灯りを映じて、翡翠はちかりと暖かく煌いた。
綺麗な色だ。
似合うだろうな、と詮無いことを考える。
でも、もしかしたら。
いつか渡せる時が来るかもしれない。
人生は永いのだから。
故国を出奔してはや二年。
彼と出会ってから、もう二千日が経った。
「坊ちゃんにはこっちの方が似合うんじゃないですか? この黄玉のブローチとか、こっちの柘榴石のリングとか。柘榴石はガーネットとも言って、坊ちゃんの誕生石なんですよ。ああ、これも似合いますね、瑪瑙です」
付き人はのほほんと語り始めた。
やたら宝石に詳しい。
グレッグミンスターでマダム友達とよく井戸端会議に花を咲かせていたから、そのせいだろう。
アスフェルは高貴な顔立ちだからこれが似合う、漆黒の瞳を引き立てるのはこの宝石だ、等々。
グレミオはひとしきりアスフェルと宝石との関係を熱弁した。
アスフェルの信者は数多いが、中でもやはりグレミオは筆頭格だ。
ことアスフェルのこととなると見境のなくなる傾向がある付き人は、以前それがもとで命を落としている。
そして宿星の奇跡とやらで蘇ったのだ。
(奇跡、……か)
アスフェルは、復活を無条件に喜べなかった。
グレミオの魂を喰らって己の力が増大した生々しい感覚は、アスフェルの記憶に深く刻まれている。
そして今も力の衰える気配はない。
グレミオの魂は確かに己が紋章の糧となっているのである。
ならば、今生きているグレミオとソウルイーターに、どのような形でかはまだわからないが、何らかの繋がりがあると考える外あるまい。
しばらくはともにいて性質を見極める必要があった。
「いや、自分用ってわけじゃないんだ」
アスフェルは延々と続くグレミオの解説をゆったり遮った。
気を悪くした風ではないが、グレミオは口を半開きにしたままきょとんとアスフェルを見る。
上方へ眼球が動き、しばらく言葉の意味を反芻していたらしいグレミオは、ややして確信めいた口調で問うた。
「ルックくんにですね?」
アスフェルは目を丸くした。
図星である。
まさか察されるとは。
「坊ちゃん、まだ気づいていないんですか? グレミオはいつだって坊ちゃんを応援していますよ」
グレミオは何故か、アスフェルとしては突拍子もない発想だったのだが、ごく自然に納得しているようである。
保護者面の笑みがこちらへ向けられた。
気恥ずかしいのと、その笑みすらもグレミオの魂を操るソウルイーターの見せる幻かもしれない恐怖がない交ぜになって、アスフェルは顔を背ける。
それならですね、とグレミオはエメラルドを手にした。
「翡翠もいいですけど、翠緑玉の方がほら、色が濃くて透明でしょう。向こう側が透けて見えるんです。ルックくんらしくありませんか?」
グレミオは得意そうにエメラルドをかざした。
なるほど、グレミオの指が宝石の奥に見える。
透き通って濃く輝く碧色はルックの纏う風に似ていた。
しかし、色味は翡翠のほうが彼の瞳に近いようだ。
気の強い横顔が思い出されて、アスフェルは苦笑する。
グレミオもつられるように笑みを深くした。
「どちらにせよルックくんは緑というイメージがありますね。最初は夕食もサラダしか食べなくて、宗教上の理由かと思ってたくさん残しても我慢していたんですよ。でもあまりにもがりがりだから、アントニオさんと二人で心配になってしまって。無理やり食べさせてみたら、何と胃痛になってしまったんです」
そんなことがあったのか。
初めて聞く話に、アスフェルは目で先を促した。
「ずっと何も食べなかったりっていう生活が続いていたからでしょうかね。胃が縮んでしまっていたのかも知れません。あと味付けの濃いものも駄目で、マリーさんとアントニオさんとグレミオとで、ほとんど油気を落とした魚をサラダに添えたりだとか、穀物でちょっとでも多くの栄養を摂ってもらうため五穀炊きにしたりとか、いろいろ工夫したんですよ」
グレミオはふふと笑った。
昔と変わらない、柔和な顔。
グレミオは片目でエメラルドを透かし見た。
「でもやっぱり、ほとんど野菜しか食べなかったですね。だからルックくんは草葉のイメージが定着してしまいました」
グレミオの話は一般的なルックへのイメージとは異なっている。
アスフェルを実の子のように育ててきたグレミオだからこそ、年相応に子供らしいルックの姿が見えていたのだろうか。
思えばグレミオはアスフェルの外面や演技に騙されなかった。
それどころか必要以上に子ども扱いしてくれたものだ。
エメラルドをそっと棚に戻して、グレミオはアスフェルの右手を掴んだ。
「どうした?」
グレミオはごそごそと懐をまさぐっている。
ぱっと顔を上げると、アスフェルの開かせた手のひらへ銀貨を二枚押し付けた。
「グレミオが貯めていた分です。ルックくんに何か買ってあげましょうよ。グレミオは結構あの子が好きなんです」
「俺だってお金くらい持ってる」
「いい宝石は高いんですよ? グレミオと割り勘です!」
グレミオは片手を腰にやり、唇へ人差し指を当てた。
この仕草はグレミオが大人ぶっている時だ。
昔から変わらない、グレミオらしい優しさの滲み出る仕草である。
(いくらソウルイーターでも、ここまで芸が細かくはないか……)
魂がどこに在れ、目の前にいるグレミオはきっとグレミオでしかないのだろう。
アスフェルはようやく肩の力を抜く気になった。
疑心に苛まれて、グレミオから離れるのがずっと怖かったのだ。
でもそろそろ昔通り気を使わなくていいのかもしれない。
グレミオの望むように、アスフェルはひとり遥か高みへ飛翔しよう。
置いていかれたと口では言いつつ、グレミオならそんなアスフェルを誇らしく思ってくれるに違いない。
アスフェルは小首を傾げてみせた。
「では、宝石博士に質問だ。最も気高い宝石はどれだろう」
グレミオは即答した。
「ダイヤモンドです! 何ものにも屈さない、透明な宝石、って……」
「ルックらしいな」
「ええ」
凛とした背が浮かぶ。
背伸びするでもなく、萎縮するでもない。
ルックはただ凛々しく清廉に、風の中法衣の裾をはためかせていた。
なびく髪が、陽に透けて黄金に光っていた。
「ビクトールさんが言ったんですよ。ああいうのを高潔っていうんだろうな、と」
「意外だ。ビクトールの辞書に熟語があったとは」
「坊ちゃんこそ、すっかり勇姿になられて。グレミオは感慨無量でした」
「今はしがない遊子だよ」
「あ! 坊ちゃん、これなんか綺麗な細工じゃないですか? 小ぶりでちょうど良いですよ」
「……ああ、そうだな」
「ちゃんと坊ちゃんが選ぶんですよ! こっちの耳飾りも台座が銀、いや白金で素敵ですね〜」
「グレミオも選びたいんだろう」
「一緒に選ぶんですってば! 割り勘ですからね!」
グレミオは調子よく店内を物色し始めた。
アスフェルもそれに倣い、店員のアドバイスを受ける。
思い浮かべるのはルックの瞳。
さらさら流れる金茶の髪から時折白い輝きが見えたら、どれほど美しいだろう。
翡翠の隣で揺れるダイヤは、ちゃんとあの狂おしい翡翠を引き立ててくれるだろうか。
どうやって渡せば、あの毒舌を掻い潜って彼の耳元へ届くだろう。
結局、グレミオとふたりで四半刻かけて探し求めた。
金と銅を混合させた淡い発色の台座は楕円状で、ダイヤモンドがひとつ埋まっている。
耳飾りはルックの瞳よりずっと小さい。
あまり大きくないものなら抵抗なく付けてくれるかもしれないというささやかな打算であった。
「いつか、会えますよ」
グレミオはからりと言う。
アスフェルも信じようと思う。
いつ渡せるかもわからない贈り物を、アスフェルは大事に胸元へしまったのであった。
「楽しんでいただけましたか? 実はもう一度拍手いただくと、この日のルックを少し覗き見ることができるんです。俺も是非見てみたいから、今しばらくご案内いたしましょうか」
「……レックナート様、これは」
先の大戦後、盲いた星見とその弟子は移住した。
ハルモニアの目をくらますためである。
以前よりさらに人界から遠ざかった感のある僻地へ新たな居を構え、二人はひっそり引っ越した。
引越しといっても馬車で延々移動するわけではない。
引越し自体は師の紋章により一瞬で終わる。
の、だが。
師の持ち物は非常に膨大な量で、弟子としてはうんざりするくらい山積みになった服だの置物だの書籍だのを、ひとつずつ丁寧に片付けなければならない。
もう二年になろうとしていたが、師の私物はようやくその半分が整理できたといったところであった。
有能な弟子をしてここまで苦しませるのだから、師の所有物がいかに尋常でない多さかということである。
それでもけなげな弟子は毎日せっせと山崩しに取り組んでいたのであった。
「宝石、ですか?」
ルックが見つけたのは、水晶玉や魔術具や趣味のわからない壷ならいくらでもある中にひどくそぐわない、一対の耳飾りであった。
耳に当たるところは大きな真珠で、その下にダイヤモンドが五つ数珠つなぎに連なって、プラチナの鎖がそれらを縫いとめている。
ルックの中指より少し長いくらいになるその耳飾りは、動かすたびにきらきらと煌いて揺れた。
光沢は一片の曇りもない。
師が使うにはいくらか豪奢にも感じられる。
はっきり言ってしまえば、およそ師には似合いそうになかった。
「貰い物ですよ」
師は相変わらず塔の最上階で寛いでいる。
ケースごと耳飾りを持って参上したルックへ、レックナートはあどけなく微笑んだ。
「姉に、貰いました……。遠い昔の話です」
「……そうですか」
ルックは項垂れた。
師の姉君は、先の戦いで行方知れずになった。
触れてはいけないパンドラの箱だったか。
だが反省はルックの口から素直に現れず、漏れるのはやっぱりきつい言い草。
「レックナート様には派手過ぎるようですね」
「あら、率直な。そういうことはオブラートに包んで話すものですよ」
レックナートはころころと笑った。
師の中で姉君のことはもう昔の思い出になっているのかもしれない。
だからかつての姉を思い出して、いつもより無邪気な顔をしている。
永い永い年月はそうやって乗り越えなければならないのだ。
永く生きれば別れも多く、失敗も、悔恨も、リセットされることがない。
師のうちには自分など及びもつかないくらい負の過去が蓄積されているのだろうか。
人に見えぬものを視て、人に抗えぬものを知る師。
それならこの耳飾りは師にとって辛いものでしかないはずなのに。
「ルックは、誰になら似合うと思いますか?」
流れるように部屋へ響いたレックナートの声がルックの思考を中断させた。
レックナートはさも楽しげにルックの気配を窺っている。
人のうろたえるところが見たいのだ。
とことん趣味の悪い人物である。
ルックは軽くレックナートを睨むと耳飾りを眼前にかざした。
透明な輝き。
大きな輝き。
このままでは明らかに女性用だから、一番大きなダイヤをひとつだけ取って銀の台座をあてがえばどうだろう。
きっとあいつに似合う。
漆黒を引き立てて、かの意志を反映して。
きっとかの耳元でこそ美しく煌くだろう。
「同じことを考えたようですね」
ルックの想像を読み取ったように、レックナートが笑った。
「今日はちょうど二千日目なのですよ」
「何がですか?」
「彼が星見の結果を受け取りに来た、あの日です。まだ紋章は彼の手にあらず、まだ運命は定まっていましたね」
レックナートは朗々と言った。
もう、二千日にもなるのか。
ルックはあの日を思い出す。
あいつの周りだけ眩しくて、ルックは思わず目を閉じた。
傍らにあった生と死を司る紋章は、いずれあいつに宿ると決定していた。
それは絶対的な運命だった。
しかし師に視えていたのはそこまでである。
首魁となり、勝ち残るのか運命に潰されるのか、それはアスフェルの力次第であった。
だからルックは希望と諦観とを同時に抱いていたのだ。
もし、アスフェルが運命を紡ぎ出す力を具えているのなら。
それは人類の強さという氷山の一角であると、信じてもいいだろうか。
ルックにもその片鱗は与えられているのだろうか。
否。
「きっと、この宝石は、あいつに似合います」
ルックは首を振った。
さらりと髪が左右に揺れた。
師は厳かなまでの緩慢さで手をルックへ差し出す。
「それは、あなたに授けましょう。私の姉と、私の思い出。きっとあなたのもとにある方が、宝石は輝きます」
「ですが」
「いいのですよ、ルック」
レックナートはルックを見た。
見えないはずの目は、確かに今ルックへ向けられている。
師にはルックの動作もすべて視えているのかもしれなかった。
「お好きになさい。あのひとの耳朶を飾るのなら、それはその宝石の運命であり、望みです」
「そういうものでしょうか」
「宝石は、愛でるためのものではないのですよ」
「では」
「捧ぐために。ひとの思いのために、あるのです」
師は難解なことを言う。
その方が楽しいでしょう、とレックナートは中天を仰いだ。
以前はステンドグラスのきらびやかな色が天井を覆っていたが、今は白くつるりとした壁の続きがあるばかりだ。
それでもレックナートには見えているのだろう。
風薫る五月、大空を自由に舞う雲が。
どこまでも青く広く伸びる悠久の天が。
ルックはもう一度耳飾りを揺らしてみた。
きらきら光る。
台座はこのプラチナを加工してもらおう。
腕のいい宝石職人がいると聞いた町まで、ルックの足で往復五日ほどだ。
師に転移してもらうのは貸しを作るようで気に食わないから、たまには自力で歩くのもいい。
「また会う時があるのかどうか、分からないけど」
「きっと、会えますよ。あなたがそう望むのなら」
「渡せるかどうかも、分からないんですよ」
「渡せます。ルック、いつかあなたも気づく日が来ますよ」
レックナートは訳知り顔で笑った。
ルックも知らず口の端に笑みがのぼる。
渡せるようになる、その時まで。
ずっと胸にしまっておこう。
ルックも今ばかりは、そんな日も来ると信じる気になった。
だから、そっと。
ダイヤモンドを胸に当てて、彼を想ってみたのであった。
「……ルック……(感激)2000hit達成、本当にありがとうございました。今後とも夕凪大地をよろしくお願いいたします。この画面は閉じていただいて、引き続き夕凪大地をお楽しみ下さい。えっ、俺のお勧め小話? それはね、俺の口から言わない方がいいらしいから。代わりに管理人へ感想とかを送ってあげてくれないかな。そうすればきっと調子に乗って俺の望む内容を書くと思うんだよね。では、またすぐにお会いしましょう!」