朝が来た。
それはわかっていたけれど、僕の目に朝日は見えない。
今や世界は夢の延長線上。灰色の夢が現実を塗りつぶす。
手を伸ばせばやわらかな毛布やシーツの感触がわかるのに、温かさがまるで感じられない。
(…起きないと)
そろそろセラが起きる時間だ。
あの子に心配をかけてはいけない。ただでさえ人一倍、感受性の強い子だから。
だから起きないと…。
ぐるぐると葛藤していると、突然ぎゅっと抱き寄せられた。
このかんじはティルだろうか。
頭ではわかるのに、目の前は相変わらず、どんよりと重い色彩。
性質の悪い病のようなものだ。
生来の持病だから、もういい加減付き合い方もわかってきた。
でも、随分進行してきている。
以前はティルが来た時には、一瞬で晴れたのだ。
理由はわからない。紋章のためではないのだろう。
レックナート様や、他の継承者の時は、何も変わらなかったから。
(このままだったら、どうしよう)
夢が終わるまでは、いつも目覚めることのできない焦燥に駆られる。
目覚めてからも、またすぐに見ることになる悪夢から、今度も逃れることができるだろうかと。
じわりじわりと迫り来る不安は、影のようにどこまでも付きまとう。
これだけは、どうしても慣れない。
ティルが何か囁いた。
僕は頷いてから、今の言葉を反芻した。
『嫌な夢』?
ああ、そういえばそんなことを言ったこともあった。
随分昔のことなのに。子供の些細な泣き言と、受け流すのが当然だろうに。
なんだかおかしかった。
(まったく、どうしてこんなことまで覚えているんだろう)
いきなり、さっと視界が開けた。
まぶしい光がティルの輪郭を縁取る。
終わったのだ。ちゃんと見える。
半ば呆然としたまま、ティルを見上げて問いかける。
「…なんでここにいるの?」
「そりゃあ、ルックに会いに」
確かに、それ以外の用があってこんなところまで来たりはしまい。
相槌を打って下を向いたら、どっと眠気が押し寄せてきた。
そういえば、今日もほとんど寝ていない。
「もう1度寝たら?予定があるんなら、また起こしに来るし」
そうしたいのはやまやまだけど、今日は今日の予定がある。
二度寝で午前の時間を浪費するわけにもいかない。
だが身体に力が入らず、そのままティルに寄りかかった。
ティルはもう1度抱きしめて、頭をなでてくれた。
(…きもちいい)
今眠ったら、夢も見ずに眠れそうな気がした。
うとうとと睡魔の呼びかけに従いかけていたら、ティルはおもむろに抱きしめる手に力を込めた。
「ねぇ、ルック。ここにいてよ。ずっと。いっしょにいよう?」
一気に眠気が吹き飛んだ。
最近ティルは会うたびに同じことを言う。
それが僕には、つらい。
応えることはできないと知っているから。
ティルも勘付いているのだろう。だからいつも確かめようとする。
そんなティルがかわいそうだった。
(どうして、僕のところに来てしまったんだろう)
(僕じゃなくてもよかったはずなのに)
ティルは繰り返す。
まるで大切な儀式のように誠実な声音で。
「もう少し頼ってくれてもいいのに。ルックの願うことなら、なんでもするよ?」
「いらないよ。何も」
本当に、なにもいらないんだ。
なのにティルは、極めて残念そうな顔。
僕は思った。
(…ほんとう、ばかだ)
でも、僕にはどうしても彼を抱きしめるこの腕をほどくことができないのだ。
この手を、はなすことが、どうしても。
だから、今だけは。
僕は笑って嘘をつく。
「ここにいるよ。ずっと」
ティルは笑って髪をなでる。
「うん。ずっと一緒だよ」
もう言葉はいらない。
ティルの胸に顔をうずめる。
それだけで満たされる静謐。
きっとどちらもわかっている。今だけの安息の時間。
(時が今、止まってくれたら)
そう願う心の奥で、かすかな警報。
タイムリミットは、もうすぐそこ。