シーナに対するアスフェルの態度は徹底している。
苛め倒さねば気がすまないといった、底深い執念が感じられるのである。
「やあ、シーナ。今日も暇そうだな」
ご丁寧に「も」へ第一強勢がかかっている。
シーナは、背後から投げかけられた声音にうんざりと返した。
「これはこれは軍主殿、ご機嫌麗しゅう。愚父に何か用でしょうかね」
「愚父とはまたいかにもシーナらしい恥知らずな新語を造ったものだ。残念なことに今日は、まだまだ微々たる存在でしかない解放軍のため日々尽力して下さる素晴らしいご尊父ではなく、その脇でいつもご母堂の脛にかじりついている短髪短慮の愚息へ用があるんだが」
うんざりしたのが気に障ったのか。
皮肉に嫌味を上塗りした口上を聞かされ、シーナは早々に音を上げた。
なれなれしく答えても鼻っ面をへし折るような暴言を吐くし、こうしてさっさと離れてやろうとしても無駄。
せめてもの仕返しに、どこまでねじくれてんだ、と苦情を滲ませてやる。
「何だよ、用ならさっさと言えよ。役立たずな俺にでもできるようなやつじゃないと期待に副えないぜ」
アスフェルはにっこり笑った。
「用っていうか、遠征なんだけれど。いいかな」
「……は?」
黙ってりゃ完璧な造作、立ち居振る舞い。
それが己の表情筋を知り尽くした優美な微笑みで困り果てたように小首を傾げる。
すべて計算ずくの仕草に、そうと理解していても尚惹かれるのはシーナだけではないだろう。
こいつのはもはや魔力だ。
紋章を使いこなす才の方ではなく、魔王の放つ禍々しい力。
「……はいはい」
周囲の視線を異常に浴びて、この視線全部がシーナの敵に回ったことだけは分かる。
人通りの多いところでこんなことをしてみせたのもわざとだ絶対、こいつやっぱり悪魔の僕っつうかもう悪魔そのものだ。
しかし魔王への供物である子羊シーナに、逆らう術はない。
「かしこまりました、お供させていただきます」
慇懃に腰を折り、恭順の意を示したのであった。
聞けば、先の敗戦で相当ダメージを負った解放軍は、このままでは次の戦闘に耐えられないという。
そこで、解放軍を結成した帝国貴族、今は亡きオデッサ=シルバーバーグの遺した火炎槍を入手して、起死回生を図ろうというのだ。
火炎槍の威力をもってすれば、あの鉄甲騎馬隊も殲滅し得る。
それほど凄い兵器らしい。
初期解放軍の副リーダーであったフリックの案に従って、アスフェルは少数精鋭で秘密工場へ向かうことにした。
メンバーは、キーロフの北、カレッカのまだ奥にあるという秘密工場まで遠征することを考えると、なるべく直接攻撃と魔法攻撃のバランスが取れている方がいい。
船頭のタイ・ホーは魔法がからきし不向きなので、魔法のエキスパートとして攻撃回復ともに万能を誇る風使いルック。
キーロフでも顔が利くという交友関係に際限のない風来坊ビクトールと、此度の発案者である攻守のバランスが取れた青雷フリック。
そして最後に、コウアンの富豪レパントの道楽息子ことシーナが選ばれたのであった。
六人を乗せた船は、トラン湖城の遥か北西にあるキーロフへ水面を切って走り始めた。
何故自分が選ばれたのか、理由はわからない。
シーナにとっては、このひねくれた軍主と行動を共にすることが、ただ面倒くさかった。
シーナは、誰かと話していないと落ち着かない。
幼い頃から多くの使用人に囲まれ、周りには常に人がいた。
生憎人けをストレスと感じるたちではなかったが、代わりに誰か話し相手がいないと不安になる。
おそらく、幼いながらも、周囲から人が途絶えるということは父の権力の失墜を意味すると分かっていたのだろう。
だからシーナは、誰にでも好かれるよう話術を磨いた。
初対面の誰とでも、どんな年齢のどんな環境の相手とでも、そつなく話を続けることができるように。
それは大富豪レパントの息子としても必要なスキルであった。
ふと、そんなものは上辺だけの関係だと気が付いて、両親の反対を押し切り遊学の旅に出たのが解放戦争の始まる半年前。
性根はいくらかましになったと自負しているが、寂しがりやな気質はなかなか変わるものではない。
キーロフへと向かう船上でも、シーナは年の近い話し相手であるルックと行動をともにしていた。
「お前、もっと食べた方がいいんじゃね?」
スープを数口飲んだだけでスプーンを置いてしまったルックに、シーナはパンをちぎる手を止めて言う。
船上に操舵室と部屋が一つ、船底に部屋が二つしかないこじんまりした船の、一階船室で二人は昼食を摂っていた。
甲板へ続く扉はぴったり閉じられて、左右に二つずつ並ぶ小さな丸い窓には、薄く曇った空と鼠色の湖水が切り取られている。
扉のある側を短辺とする長方形の船室は、扉から見て反対側に操舵室への戸があり、その手前の床に見える空洞は階下へ通じる梯子になっていた。
鉛色に覆われた壁のどこからか入る隙間風は冷たい。
暦の上で春とはいえ、陽光の差さない日などはまだ肌寒い風が吹くのだ。
据え付けられた簡素な食卓の、狭苦しく八つ並ぶ椅子は、どれも冬用の座布団が敷かれていた。
卓上には人数分のスープ皿とスープの入った保温鍋、マリーが丹精込めて焼き上げたパンがバスケットに山と積まれていて、パンに塗るバターやジャムの瓶、携帯用の燻製肉がそれぞれ揺れで落ちないように中央へ並べられている。
年相応にもりもり食うところなぞ想像もできない繊細な指先で、ルックはスープ皿をついとシーナへ押しやった。
「食欲ないから」
「お前、だからがりがりなんだぞ。ちったぁ肉でも食って精付けろよな。今のうちに食っとかねぇと背も伸びねんだぞ」
「大きなお世話」
ルックは、シーナが解放軍に加わらされた時には既に魔法兵を一個師団率いていた。
こんなガキまで主戦力とは、解放軍はどんだけ人手不足なんだ。
――と、驚いたのは最初だけで、その並々ならぬ魔力と采配の手際良さにすぐ納得がいった。
ルックはそこらの大人よりもずっと知識が豊富である。
実戦経験は大人に比べればもちろん乏しいものの、それも数度の交戦ですぐにこつを掴んだようだ。
シーナより二つも年下だとは思えない頭のキレが気に入って、以来シーナは頻繁にルックを誘うようになった。
もちろんルックは気の乗らない口調だが、どうやらうまい断り方を知らないらしい。
これ幸いと付け込んで、シーナは、今や三日に一回は飯だの散歩だのとルックを連れ回しているのであった。
「火炎槍ってそんなに難しいもんなのかねぇ。うちにもジュッポっつうからくり師がいるんだし、いっちょうちゃちゃっと作っちまえばいいのによ」
「何人分いると思ってんの、材料が足りないよ。それに、オデッサの遺品だから意味があるんじゃないの。僕にはそういうのよく分かんないけど」
「……ルックって、結構考えてんだな」
「ロッテを追いかけ回すのやめたら、あんたもちょっとは建設的な思索に回す時間ができるんじゃない?」
「うっ。ルック、誰に聞いたよ」
「本人。それとなく注意しといてって言われた」
「……お前……俺の純真な心を踏みにじりやがって……しかも全然それとなくじゃねぇよ、お前思いっきり俺を傷付けてるよ……」
「ふぅん」
ルックはシーナに飽きたような素振りでお冷の氷を揺らしている。
くぅ、と泣き真似をしたところへ、慰めるように肩へ手を置かれた。
ぽんぽんと叩かれたかと思えば、ぐいと一気に圧力がかかる。
まさに絶妙の力加減で、シーナはうつ伏せた上体を起こすことができなくなった。
「おい、っ……」
こんな器用な芸当ができるのは、あの陰険軍主くらいのものだろう。
「ルック、それだけしか食べてないの?」
果たして猫なで声としか表現しようのない穏やかな問いをルックへ投げるは、稀代の腹黒アスフェル=マクドールであった。
地階の船室でタイ・ホーらと興じていたはずであるが、いつの間にか梯子を登ってきたようだ。
アスフェルは遠慮なくシーナの隣、空いていた椅子へ座り、さらに遠慮なくシーナのパンを横取りしてのけた。
座る拍子に思いっきり皮膚を捻られて、シーナは堪らず苦悶を漏らす。
「あんたには関係ないよ」
そっけなく返す斜向かいのルックへ、アスフェルは動じず微笑んでいるようだ。
くすぐったい空気が鼻に入った、ような気がした。
アスフェルは弦楽器の鳴るような甘く響く声音でルックに食事を勧めた。
「このパン、一口だけでも食べてみない? スープにつけると柔らかくなって食べやすいよ」
シーナはようやくアスフェルの手を跳ね返す。
今日こそ、逃げ場も加勢もない船上で文句を付けてやらねば!
今の仕打ちもだが、そもそもセイカでちょっときりっとした感じのかわいい娘をナンパしてたらよりにもよって親父を連れてきたり、バレリアさんをお茶に誘おうとしたら会議だ何だと因縁をつけて掻っ攫っていったり、ビッキーちゃんと楽しくしゃべっていたら横から何をどうしたかシーナに対してだけ発動するように瞬きの紋章を暴走させて大森林の村まですっ飛ばされたりと、アスフェルはことあるごとにシーナをいたぶるのである。
アスフェル!お前なぁ、何のつもりで……!
「はい、あーん」
怒鳴り倒そうとしたシーナの口は、アスフェルの突っ込んだパンによって封じられた。
同時に凄まじい目付きで牽制される。
黙れ。
瞳の奥から意思が正しく伝わってきて、シーナは蛇に睨まれた蛙のごとく硬直してしまった。
アスフェルはといえば、がらりと印象を変えた素知らぬ顔でルックにもパンを食べさせようとする。
「ルックも、はい、あーん」
「……いいよ、自分で食べるから」
「いいじゃない、シーナに食わせてやったついでだから、ね。はい、口開けて」
もごもごと口を動かし、シーナは懸命にパンを飲み下そうとする。
しかしアスフェルが食べさせてくれたのはフランスパン丸ごと一本、噛むにも一苦労な代物である。
シーナがどこまでも凶悪な魔王の陰謀に苦しむのをよそに、ルックがそっと口を開けた。
アスフェルはちゃんと一口サイズにちぎったパンをルックの唇の先へ付ける。
ルックはぱくんと頬張って、大人しく食べた。
「おいしいだろう?ちょっとは食べなきゃ船酔いがひどくなるよ」
「……あんた、知ってたんだ」
「いつもより顔色が優れないみたいだから。キーロフに着くまで、もう少し我慢してね」
アスフェルは微笑んだ。
ルックはちょっと止まって、つられるようにわずか眦を緩める。
アスフェルの笑みがより深くなった。
シーナは、その時のアスフェルを忘れることはないだろう。
ルックが手ずからちぎったパンを含んだ時の、その表情を。
花の咲いたように、仮面が剥がれ落ちたように、それは鮮やかに笑んだのだ。
飾り気のない笑顔。
見たこともない精彩。
それらすべてが風使いにだけ向けられている。
さっさと席を立ち操舵室へ様子を見に行ったアスフェルの、軍主然とした後姿を見送って、シーナは溜息とともにパンを吐き出した。
これまで自分が遭った被害の数々を思い出してみる。
そういえばルックを誘うようになってからだと、単純な原因究明に至って。
アスフェルの不器用な無垢さに、シーナはいっぺんに参ってしまったのであった。
(しゃあーね、協力したろうじゃん)
このお節介気質も、なかなか直らないシーナの悪癖であった。