「俺の部屋、出入り自由になったから」
「あっそ」
浮かれた様子のアスフェルと、相変わらずつれないルックである。
アスフェルの私室、豪勢なベッドに我が物顔で寝そべって、ルックはいくつも書類に線を引いた。
書類は軍編成に関するシミュレーション図。
今後の戦闘を予測して、各地形における状況別、天候別にそれぞれ効果的な布陣を作成中、である。
「この一部隊は森の右手がいいんじゃないの。僕が帝国側ならここを攻める」
「それだとここの守りが薄くならないか? 魔法兵は移動が早くないだろう」
「まぁね……。ああ、じゃあ、これはどう? ここに魔法兵をあらかじめ移しておけば、敵の目も欺けるし、はったりが利く。魔法兵に歩兵と同じ鎧を着せておくんだ」
「面白い。でも鎧だけでなく兜も必要になるからかなり重いよ、人数分準備できるかも怪しいけれど。魔法に支障が出るんじゃないか?」
「だからはったりだよ。最前列だけ本物で、後は似たような色の服」
「成程」
アスフェルはベッド脇の椅子に体を預けて、寝転がるルックへ頷きを返した。
本来、こういった作戦は幹部会議で相談すべきである。
しかしアスフェルは個人的に、この頭の回転がやたら速い魔法使いと二人でシミュレートするのを好んでいた。
ルックはなまじ実戦経験のある大人より奇抜なことを考え付くし、理論にも筋が通っているので純粋に楽しいのだ。
会議では二人で考えた案をマッシュの作戦とともに出し、マッシュのものをベースにしつつ二人の案を練り込んで実戦で使える形態へ手直ししていく。
マッシュ自身は、最終的な判断は必ず軍師に委ねているので、この荒削りなシミュレーションを異色だと面白がっていたが、中には己を差し置いてと不満に思う者もいるようであった。
マッシュはこれを諌めていたのである。
昼間は互いに忙しいので、「密会」はたいてい夕食後から翌朝にかけて、アスフェルの部屋で行われる。
よって、まだまだお子様なルックが深夜こてんとアスフェルのベッドで眠ってしまうことも数度あった。
ルックは数時間ベッドを占拠して明け方にふと目を覚ますと、ソファで眠ることを余儀なくされた軍主を尻目に、ぽやんとした足取りで自室へ戻ってしまう。
周囲がいぶかしむのも当然であった。
そして、ウインディの送り込む暗殺者は夜に来る。
ウインディもまめな性で、今でも週に一回はアサシンを差し向けるのだ。
となると必然的に居合わせるルックがアスフェルを守ることとなり、結局二人で倒して警備兵に突き出す。
警備兵は、ルックのように勝手に私室へ入り込む例外があるから侵入者を防ぎきれず、面子が丸潰れだと嘆いているのであった。
「ねえルック、この間カスミと話したんだって?」
アスフェルが、がらりと表情を変えてルックへにじり寄った。
ベッドに片膝を乗せて、まるで逃げることのできない獲物を目前にしたような愉悦を上らせた口元は、チェシャ猫さながらにやにやしている。
ルックは事も無げにアスフェルの肩を押しやった。
「それがどうしたの」
アスフェルは獰猛に笑う。
「寝た、って言ったんだって?」
「うん」
「どうしてそんなこと言ったの?」
「事実じゃないか」
ふ、とアスフェルは笑いをこぼした。
何も知らない無垢な子供へサンタがいないと教えるように、アスフェルはルックの耳元へ意地悪く囁く。
「あのね、寝るって、普通、睡眠の意味だけじゃないんだよ」
「そうなの?」
「ふたりで寝るってことはね」
「何さ」
「セックス、って意味になるんだよ」
「それがど、……!!!」
ルックの全身が、頬といわず首といわず、どこもかしこも紅に染まった。
一気にゆでだこのように真っ赤になって、ルックはベッドの上を勢いよく端まで後ずさった。
いっぱいに見開かれた目が、アスフェルの嗜虐心をそそる。
ルックは書類をくしゃくしゃに握り締めて抵抗した。
「だだだだだって僕ら男同士じゃない!!」
「男同士でも、できるんだよ」
試してみる?と挑発を瞳に乗せてアスフェルは舌舐めずりする。
さらにずざざざと壁に引っ付いて退避し、ルックはベッドの隅っこに固まった。
ルックの子供らしい丸い目が心なしか潤む。
そろそろかわいそうになってきて、限界を見極めたアスフェルはころりと穏やかに微笑んだ。
「なんてね、冗談」
ルックはパニックに陥っている。
「どっ、どこからっ」
「最初から」
「寝るって、寝るっていうのは!!」
「それは本当」
声にならない悲鳴を上げてルックはベッドへ突っ伏した。
よしよし、とアスフェルはその頭を撫でてやる。
ルックの意外な一面に、笑いが止まらなくなってアスフェルは喉の奥を震わせた。
魔道書だろうと恋愛小説だろうと、活字なら何でもとりあえず目を通してしまうルックであるが、こういった方面の知識はやはり疎い。
実にからかい甲斐がある、とアスフェルは目を細めた。
良くも悪くも、ルックは一途だ。
思い込みではなく己の行動指針に基づいた一途さなので、見ていて好ましい。
しかし暗殺者に対しても身を挺してアスフェルを守るので、先日などは背中を切りつけられて大変だったのだ。
怪我自体はすぐに魔法で治せるのだが、血で汚れたシーツやら、ルックの肌に走る傷口を見たときの不可解なざわつきだとか。
ルックの一途さに、アスフェルはいつも身体の中心をぐらぐらと揺さぶられる気がする。
今は切れ味鋭い洞察力やアスフェル以上に豊富な知識量と相まって、ただ面白い子供、という認識に留まっていても。
これ以上いろんなルックを発見したら、いつの日か、面白いでは済まなくなるかも知れない。
そう、まさに、己の在り様を変えてしまうほど……。
ベッドに埋められた金茶の頭上でぎゅうと握り潰された書類を抜き取って、アスフェルは皺を伸ばしながら図面を見直した。
右に森。
敵は正面。
「……あれ?」
アスフェルはベッドの端に座り直し、足を組んだ。
もう一度図面を整理する。
「ルック、もしかしてこれ……」
アスフェルの珍しく間の抜けた声色に、ルックはこそりと顔を上げた。
「この騎馬隊を動かせば事足りるんじゃ……」
「嘘」
「ほら、ここ」
「……本当だ」
アスフェルから図面を奪い取って、ルックはそれを凝視する。
さっきまでの羞恥がすとんと落ちて、聡明な一将校の目に切り替わった。
けじめの良さはお互いだ。
こういう関係だから、夜中ずっとともにいて苦痛でないのだろう。
「騎馬隊をこっちにも配置すれば万全だね」
「魔法兵は最初のままで待機、かな」
「僕の活躍を見せてあげられなくて残念だけど」
「その分俺が目立ってあげるよ」
「はいはいそうだね精々流れ矢に当たらないよう自重しなよ。あ、アスフェル、ここの対策は?」
「それはここからこう持ってきて……」
そのままふたり並んでベッドに座り込む。
飽きない議論は朝まで続いた。
朝日を待たずに寝転がって、ふたりで少し仮眠を取った。
こんな関係も悪くない。
ずっと同じ距離のまま、互いに何があっても平行なラインを保てる関係。
ルックの毒舌は、アスフェルが肉親を亡くしても変わらなかった。
これからも、多少の波では引っくり返らないだろう。
だからこそ安心できる雰囲気がどこか満ち足りない気になるのも確かではあるが、まだしばらくはこのままでと、アスフェルは今を楽しんだ。
時節は太陽暦四五五年六月、ルックと最初に出会ってから二度目の梅雨である。
三度目の梅雨には一方通行の垂直になると、まだアスフェルも、想定できなかった頃だった。
それが実は双方入れ違いの平行線だったと後に判明。
交差するのは、これから二十年ほど先のことになる。