夕照の黒い影 3





トーマスの号令を受けて、城内へ避難していたトウタやロディ、アイクらが走り出てきた。
医療班が負傷者を選り分け、傷の深いものへ優しさの雫の札を発動させてゆく。

トーマスはその様を階上でただ茫洋と見ていた。
身が竦んで動けない。
消えない血の匂いを嗅ぎながら兵士ひとりひとりの傷ついた痛みを思いやる。
札が足りないようだ。
水の封印球も足りない。
(このままでは……また死者が)
トーマスは眼球をさ迷わせた。
広場の最奥、城の正門。
応ずるようにセシルの影から小柄なゼクセン兵が顔を覗かせたのを見つける。
ぶかぶかの甲冑をまとうはまだほんの子供だ。
今日の門番だろうか。
トーマスは定まらない視軸を少年兵に向ける。
目睫の間で繰り広げられた意味のない殺戮へ放心するセシルの横、気配の薄い兵士はゆらりと姿勢を天へ正した。
両手を空に解放する。
鉄兜に覆われた額から水色の魔力が放たれる。
(何……!?)
途端に広場は清らかな明度で包み込まれた。
水へ擬する魔力はビュッデヒュッケ城を背後から包む湖水によく似た清明だ。
同じ浄をどこかで見た、と思うも一瞬で、注がれる水流に張り詰めた心が少しずつほどかれる。
「……優しさの流れ……」
兵士が小さく言霊を発した。
鈴の鳴るような声音は年端もいかない少女のものだ。
繊細な詠唱とは打って変わった力強い癒しの力が少女の額から展開する。
広場は水で満たされる。
水の息吹で清められる。
たぷん、水の波打つ音がした。
流水の紋章だ。
トーマスは広場を隈なく見渡す。
重傷の兵士がさっきまで骨の見えていた肩をぐるりと難なく回すのが見える。
傷はちゃんと治っている。
(みんな……助かった)
トーマスはふらりと階段へ膝を付いた。


見上げれば水色の魔力が空へ拡散してゆく。
雲ひとつない夜空は水に浸されてより寒々しく暗んだ。
何だか無性に日光が恋しい。
(……心までは、あったかくならないのに)
この期に及んでまだ何かを他へ求めるごとく天を仰いでいた己をのろのろと知覚して、トーマスは振り切るように胸元を見下ろす。
強力な治癒力でも助からなかったのは、失われたこの命ひとつであるようだ。
腕に抱く子供の首はいくらか軽くなっている。
血が抜けきったのだろう。
とても離す気になれず、血でごわごわの髪をできるだけ丁寧に梳いてみる。

……トーマスは、ようやく泣いた。



ひとり死者が出た。
トーマスがもっと早く仲裁していればこの幼児は死ななかったのだ。
戦いは誰だって恐いし、手を出さなければ少なくとも武具による物理的な苦痛はない。
しかしトーマスの躊躇っていた数分、傍観していた四半刻こそが、子供ひとりの生死を分けたのだ。
トーマスはどうしようもなく後悔した。
「トーマス……」
誰かが背を叩く。
まだ泣いていたい。
まだ、反省し足りない。
でもそうやって過去に囚われる時間が次の犠牲をつくるのだ。
トーマスは進まねばならない。
振り返ってシーザーに、トーマスは深く首肯した。
「皆さん……聞いて下さい。ハルモニア神聖国が攻めてきました」
うず高く積まれた武器はまだその殺傷力を求められている。
今までのトーマスなら目を背けていた事実を、今トーマスはしっかり受け止める。
また戦いが始まる。
またたくさんひとが死ぬ。
……否。
(誰も、死なせない!)
武器をとらない争いを目指そう。
それはすなわち誰も憎まない戦いだ。
新たな主義は代償としてとこしえの努力を求む。
ひどい労苦になることくらい、とっくに覚悟はできている。
それでも敢えて貫きたいのだ。
不戦の意志を、ひととしての誇りを。
(僕は、国主なんだから)
トーマスは叫んだ。
「この地を守りましょう!」
この地の平和を。
この地の未来を。
ひとにしかできない、争いの調停を。

すべてを守るためにこそ決起せん。



鬨があがった。
トーマスは涙を拭いた。
乾いた血の感触が、目元にざりと残った。








大々的に坊ルクじゃないと宣言していた話です。
ね、坊ルクじゃないでしょ。(ってそこはむしろ予告を達成しなくていいところですから)
今さらですがシックスクランの6つ目はセフィクランなんですね。
ゲーム中に名前しか出てこなかったのですっかり忘れててルビークだと思ってました、道理で辻褄が合わなかったわけです。
ちなみに今回の黒背景はネットだからこそ可能なので卑怯かなと思ったりもしています。
できるだけ内容で勝負したかったのですが、まぁ字だけで伝えられるくらい上手くなってから言えということで。
本当に、改変を書くたび己の無力を痛感します。
上手くなりたい。
そしてこの話、下書きをほぼ全部電車に揺られながら携帯で打ってパソコンに打ち込み直し、推敲に一月以上かけたという、非常に時間のかかった作品です。

20060417