それは午後の穏やかな空気の中での、執務中の事だった。
こんこんこん、と聞こえてきた軽いノックの音に、レパントはサインをする手を止めて顔を上げる。開いている、と声を掛け、そのままかちゃりと扉が開くのを見守って。
そうして扉の向こうから現れた人物に、レパントは目を見開いてがたりと立ち上がった。
「カイン殿!?」
驚きの声を上げるレパントにカインはふわりと柔らかく微笑む。その微笑だけで有頂天になってしまったレパントには、カインの後ろに居る青褪めたアレンとグレンシールと己の息子の姿は当然ながら目に入っていない。
「どうなされました! わざわざ執務室にまで足をお運び下さらずとも、呼び付けて下されば私の方から出向きましたものを…!」
慌てて駆け寄りぎゅっ、とカインの両手を握って言い募るレパントに、カインはくつくつと喉を鳴らして首を横に振った。
いつもとは余りにも違い過ぎる光景―――少なくともカインは手を握られる前に体ごと避ける―――に、蚊帳の外な三人の額には冷や汗が浮かんでいる。
「大統領にそんな事させる訳にはいかねぇだろ。今日は特に、個人的な用件だしな」
「個人的、ですか」
「あぁ、ちょっと頼みがあってな」
かくり、と小首を傾げての言葉に、何でしょう! とレパントは意気込んで答えた。その反応にカインはにこりと微笑う。
「お前の私室を見せて欲しいんだ」
「は。…私の私室、ですか?」
「そう、お前の」
「ですが……私の部屋にそんな、カイン殿の興味を引くものがありましたかどうか…?」
首を傾げるレパントの手を、カインの白い手がきゅう、と握り返した。
その感触に思わず目を瞠るレパントを上目遣いに見上げ、カインは微笑んだまま少し困った風に軽く眉を寄せる。
「……駄目か?」
直後、レパントの首はこれ以上無いという位の早さでぶんぶんと横に振られていた。
「駄目な訳がありましょうか! 貴方がお望みでしたら、私の部屋の一つや二つや三つや四つ! ささ、ご案内致しましょう!!」
いや、あんたの部屋は一つだろーよ。
いそいそとカインを案内し始める父親の背中を眺め、シーナは思わず心中でそう突っ込む。
というか気の所為なのだろうか。柔らかく微笑うカインのその背後に、何やら黒いものが滲み出ている様な気がするのは。
「………………」
気の所為だよな! と努めて明るく結論付け、シーナは先を歩くカインとレパントに付いて行った。アレンとグレンシールもその後に続く。
そうしてやがて辿り着いた私室の扉を開き、レパントはカインを招き入れた。
「此方が、私の部屋になります」
恐らくアイリーンの手によるものなのだろう。趣味の良い調度品や家具の揃った室内をぐるりと見回した後、カインはちらりと背後のシーナに目配せする。
その視線の意味を嫌々ながらも理解し、シーナは室内を進んで寝室へと続く扉に手を掛けた。その行動に驚き、レパントは止めようとシーナに歩み寄る。
「シーナ、何、を…!!?」
しかし一歩進んだ所でカインがすっと軽く手を上げ、それによって動いたアレンとグレンシールによってレパントは両脇を拘束された。ぎょっとして己を捕らえる部下を交互に見遣るも、二人は疲れた風に首を横に振る。
「諦めて下さい、大統領。何をやったかは知りませんが、今回は全面的に貴方が悪いです」
「アレンに同意見です。どうか無駄に抵抗なさりません様」
二人がレパントを諭す中、カインはシーナに続いて寝室へと足を踏み入れた。クローゼットを開けてごそごそと中を漁るシーナに歩み寄り、背後からその手元を覗き込む。
「どうだ?」
「んー…待てよ。隠したいもんは大体いっつもこの辺に…、……あ」
ぱちりと瞬き、シーナがこれか? とクローゼットから冊子の束を引っ張り出した。どさりと床に置かれたそれに、レパントの顔がさーっと青褪める。
カインは冊子の一冊を手に取ると、無表情でぱらぱらと中身を確認して。
と、そんなカインの横で、シーナがんん? と首を傾げた。紅い視線をシーナに落とし、カインが問い掛ける。
「何だ?」
「いや、まだ何か…」
再びごそごそとクローゼットを漁り、やがてシーナが取り出したのは大きな紙袋だった。
何か柔らかい物が入っていると思われるそれを、がさりと開いて中身を取り出してみると。
「……枕?」
「あ、底にまだ何かあるぜ」
シーナが紙袋をひっくり返し、残った中身をぱらぱらと床に落とす。床に広がった幾つかのそれをしゃがみ込んで拾い上げ、シーナは怪訝な表情を浮かべた。
「ペンに、文鎮に……紙切れ? 何だこりゃ」
首を傾げるシーナからペンを受け取り、カインも彼と同じ様に怪訝な表情を浮かべる。
「……何か、これどっかで見た事ある様な…」
「マジ? …っと、この紙切れ何か書いてあるぞ。えーと『24日、演習変更』…、……ん?」
「どうした?」
「……これ、お前の字じゃねぇ?」
「あ?」
カインが差し出された紙切れを受け取り見てみると、それは確かに自分の字だった。何でこんなもんがこんな所に、と眉を寄せ、しかし不意にはっとある事に思い至り、カインは慌ててペンと文鎮と枕を改めて観察する。そして、思った。
――――これは確か、自分が解放軍時代に使っていたものではなかったか?
「…………。………、……―――レパント…」
ぎこちない動作でカインが振り返ってみれば、レパントは真っ青な顔に引きつった笑みを浮かべていて。
「…あ、あの、これはですな、その、え、英雄の間のてて展示物増強の為…」
しどろもどろな言い訳は、最後まで紡がれる事無く、消える。
がしゃぁあん! と硝子の割れる音が派手に響き、次いでひゅるるるる、どさっ、と何かが落ちる音。鳥肌もそのままに、割れた寝室の窓の前で仁王立ちになり。
カインは、叫んだ。
「次は無いと思え、この変態大統領!!!」
残された三人は思う。ああきっとあの変態はまだ生きてるんだろうな、と。
因みに彼等が居るレパントの部屋は、常人ならば落ちては只では済まない三階にあったりするのだったが。
マクドール家のカインの私室。その窓際に置かれた椅子に腰掛け、書庫から持ち込んだ本に没頭していたルックは、荒々しく扉が開かれる音にふと顔を上げた。
扉の方を見遣れば、不機嫌も露に室内を進んでくるカインの姿。そのままつかつかと自分の方へと歩み寄り、目の前の机にどさどさと雑な仕草で物を置く様子に、ルックはぱちくりと目を丸くする。
「……この冊子がアルバム―――だとして、…このペンと文鎮と紙切れと枕は何?」
「黙秘権を行使する」
「は?」
きょとんとしながらルックが問い掛けるも、カインは不機嫌に顔を歪めたまま素っ頓狂な事を口にした。そうして不意にぺたんと床に腰を下ろし、首を傾げるルックの膝に頭を預ける。
「カイン?」
「慰めろ」
端的な要求に瞬いたものの、ルックはそれ以上は何も言わずカインの頭に触れた。
巻かれているバンダナを取り、露になった漆黒の髪を梳く様に撫ぜる。何度も何度も宥める様に手を動かすと、やがて落ち着いてきたのか、もぞりと頭を動かしたカインの口から深い吐息が漏れた。その事にふっと口許に微笑を浮かべ、ルックは髪から頬へと掌を滑らせる。
と、その時こんこんと扉がノックされて。
「失礼致します―――…あら、カイン様。やっぱり此方にいらっしゃったんですね」
開かれた扉の向こうから現れたふくよかな外見をしたメイドに、ルックは思わず頬を染めてカインから離れようと腰を浮かし掛けた。しかしカインはそれを許さず、ルックの腰にしっかりと腕を巻きつけると、膝に顎を乗せて幼い頃から屋敷に居る古株のメイドに視線を向ける。
「どうした?」
「クレオさんが先程からお探しになってますよ」
此方にお呼びします? と二人の状態など一向に気にする様子を見せず問い掛ける彼女に、カインはいや、と首を振って立ち上がった。見上げてくるルックに手を伸ばし、その薄茶の髪を掻き上げる。
「シーナがアイリーンに捕まっちまったから、今日は泊まってけ。同盟軍には朝一で戻りゃあ良いだろ」
「判った」
素直に頷くルックにふ、と笑み、カインはゆるりと腰を屈めた。直後頬に感じた感触にルックの頬がかぁ、と染まる。
その反応にくく、と喉を鳴らし、カインはメイドと共に部屋を後にした。
残されたルックは頬を押さえつつ、キスの現場を人に見られた羞恥に思わずうう、と唸る。
と、暫くそうしていたものの、ふと目の前の冊子が目に入って。
「…………」
室内に人が居ない事を知りつつも、ルックは思わず周囲をきょときょとと見回すと、そろりと目の前の冊子に手を伸ばした。
ぺらり、と表紙を捲って。
「…………!!!!」
うっ…!! と口許を押さえながらルックは堪らず悶絶する。
それ程に目の前のそれは衝撃的だった。
(な、何これ…!!?)
カイに怪我を治療して貰いつつ、不貞腐れた風な表情をする姿。クレオの腕の中に収まり顔を綻ばせる姿。悪戯めいた顔をして、パーンと一緒にグレミオの背後に立つ姿。幼いその顔に大人びた表情を浮かべ、父親の横に立つ姿、等々…。
その全てがカインの正しい姿では無い事をちゃんと理解はしていたが、―――いやもうそれでも如何せん滅っっっっ茶苦茶可愛いのである。
「…………」
ルックは冊子を一通り見終えると、何処か真剣な表情で何かを思案し始めた。が、やがて決意の眼差しで顔を上げたかと思えば、再びきょろきょろと周囲を見回す。
周りに誰も居ない事を改めて確認した後、ルックは一冊の冊子を手に取り、ぱらりと頁を捲った。
そぉっと白い指先を伸ばし、幾枚も貼られている写真の内の一枚を丁寧に抜き取る。
そうして幼いカインが芝生の上で昼寝に興じるその写真を懐に仕舞うが早いか、不意にかちゃりと部屋の扉が開かれて。
「…〜〜ッッ!!!」
「……ルック?」
口から心臓が飛び出そうな程に吃驚した様子のルックに、カインもまた驚いた様子で瞬いた。
しかしすぐにルックの手元にある冊子に気が付いたらしく、その形の良い眉を盛大に顰めると、ずかずかと大股で歩み寄りルックから冊子を取り上げる。
「お前なぁ」
何で見るかな、と恥ずかしげに眉を寄せる様子に、これは抜き取った事は気付いてないな、とルックは内心拍手喝采した。取り繕う様に肩を竦め、からかう様に微笑う。
「置いていく方が悪いんだよ。目の前にこんなのがあったら見たいに決まってるじゃない」
「あのな…」
「可愛かったよ、すっごく」
「…………」
そんな訳で、この一件で一番得をしたのは、実は傍観に徹していたルックなのかもしれなかった。
終
『夕凪大地』様への(超遅な)相互御礼でございました。リク内容は『俺様なカイン様』(……あらー?)
いえね、最近ヘタレばかり書いている所為か、どうも俺様なカイン様が書けなくなっていましてですね。どうしようかうんうん唸っていた所、「ルック相手じゃなきゃ俺様いけるじゃん!」という考えに辿り着きまして。で、結果こういう変態大統領が出来上がってしまったという……はい(おかしいな、書き始めはこんなつもりでは)
念の為擁護しておきますと、うちのレパントは為政者としては素晴らしい人ですよ。只、カイン様の事となると頭のネジが百本程外れて変態になるだけなんですー(擁護?)
いやー…でも俺様というリクは全く消化出来てませんね(文章の端々に努力の跡はあるのですが)
ヒナ様、こんなので宜しければお受け取り下さいませ…(すみません)
いや!ていうかリベンジするよ!また絶対リベンジするよ!俺様!(泣)
20060723up