金輪が船





 裏切られた王子の心傷、如何ほどまでに深かろう。

 自分ごときが想像するのもいっそ不敬に思われる。
 王子は、最初からこうなることを理解なさっていたようなのだ。あらかじめ傷つく準備ができていたとでも言いたげな、清々しささえ感じさせる、母親譲りの円やかな表情。ことあるごとに見せるそれは王子がすでに諦観していたことを物語る。
 まさかバロウズ家が黎明の紋章を隠し持っていたとは、あの瞬間まで誰も推察し得なかった。メルセス卿とて、想定してはいたがあくまで可能性の一と数えていたにすぎないだろう。だが王子は、自らの左手に宿った紋章を見つめていてさえ、周囲の者ほど動揺してはいなかったのだ。
 ゴドウィンの謀反もそうだった。いつか、何らかの形で、貴族どもに裏切られることくらい、王子はとうに存じておられたのであろう。

 あの眼差しが、見る者へ王子の覚悟を突きつける。
 あんなにも冷たい、それでいて暖かい、――まるでファレナの崇め奉る金輪に似た眼差しが。



 はた、と眼前に横切る気配へ意識を向けた。
「王子! お一人で行啓ですか?!」
 ラフトフリートへと仮住まいを移して三日目の朝。そう、王子は結局、まだ仮住まいのままである。これでも以前よりは状況が好転したことになるのだろう。カイルは遣る瀬無さを剥き出しにして王子のもとへ駆け寄った。
 ダハーカを降りようとする王子はできたばかりの王都奪回軍を象徴するように鮮やかな紋様の服を着ている。常人なら気後れしそうなデザインであるが、王子は王宮の儀式や行事のたびにふんだんな装飾の施された衣装を目にしているからか、そう抵抗はないらしい。それでも少し照れた顔をしてみせながらカイルに丁寧な微笑をよこす。
「こんな目立つ格好でうろちょろしないよ。サイロウさんへ交易を教わろうと思って」
「さすが、変わらず勉学にご熱心ですねー。オレでよかったらお供しますよ」
「ありがとう」
 ラフトフリートは船上の町だ。舟が家にも商店にも道にもなるというきわめて特殊な構造をもつゆえ常に足場が揺れている。遮るもののない夏の光は容赦なく甲板とその上を焼き、しかしフェイタス河の水に冷まされた涼しい風が建物に遮られることもない。魚臭さを我慢するなら、カイルには水の合う場所である。
 王宮とはがらりと雰囲気の異なる町を、王子は落ち着いた足取りで舟から舟へ移動した。カイルはゆったり後ろへ続く。
 そういえばリオンの姿が、と思い至ったところで、王子はくるりとカイルへ正面に向き合った。背後を気配だけで察することがうまいのだ。
「リオンなら、オボロさんの探偵事務所へご厄介になってるよ。昨日、ちょっとあってね」
「――まさか、刺客」
「カイルもあの夜に相対した男の子。幽世の」
「っ王子!」
「でも僕をどうこうするつもりじゃなかったみたい。オボロさんに用があったみたいだし、……彼は僕よりずっとリオンへ執心してる」
 人間関係を読ませたら、王子の右に出るものはないだろう。王子は他者の本音を掬うのに長けている。
 誰が何を目論んでいるか。誰と誰が密会し、どんな約が取り交わされたか。言葉にも書面にもならないそれを、目の動きや口の端、あるいは雰囲気から読むのだという。これほど伸びやかな王子でさえ懐疑せしめる、王宮はかくも陰鬱な空間だったのだ。
「この町へ侵入するなら陸との接点である最初の桟橋、あれ一箇所になるでしょう。船で着けるのは目立ちすぎるから。探偵事務所なら同時に桟橋の見張りもできるし、僕が一人になるって言ってもたった半刻程度だし」
 だから昼間のうちにオボロへ相談しに行かせたのだと王子は軽く笑って言った。
「でも不用心ですよー、王子」
「大丈夫大丈夫。だってカイルがいるじゃない? 今もほら、頼んでないのにちゃんと護衛に付いてきてくれた」
「それは」
「ありがとう。いつも頑張ってくれて」
 穏やかな謝辞。王子はそれ以上の会話を拒むように微笑する。通り抜けた舟の子供が王子へ明るく両手を振って、王子はいつも通り、王宮で民を迎えるのとまったく同じ、実に王子らしい笑顔で応える。
 何て屈託のない。
 カイルはぐっと咽喉の奥を詰まらせた。渦巻く熱に焼き切れそうだ。
 王子の優しさは時に鋭い杭となる。何も護れなかった自分。王子をこんな庶民街へ避難させたまま何の打開策も見つけられぬ自分。そして王子に、八つも年下の少年に気を遣わせて、その短くさりげない労い一つへほっと嬉しくなるなんて。
「情けないなー……」
 自らへ課す深い反省、思わず外へ出してしまう。
「えっ?!」
 ところが、前行く王子の方がぴくんと背筋を尖らせた。ひどく過剰な反応だ。王子は強張ったように足を止めてしまい、異様に鈍く再びカイルを振り返る。
 つられてカイルも姿勢を正し、二人はしばらく無言のままで見つめあった。
 不安定に揺れる王子の瞳。きつく引き結ばれた口許がかすかに震えているようだ。たった二ヶ月見ない間に王子は二ミリほど背が伸びていて、以前より痩せたのか、ややひょろりとした印象を覚える。
 睫毛の裏に、陰。
 王子が直面している現在の状況こそ情けないと言うべきではないか。カイルはようやく己の失言を理解する。
「カイル」
 ――が、次の瞬間、それは杞憂と変化した。
「もしかして、僕また間違えてる?」
「……はぁ?」
「僕、ちゃんとサイロウさんのところへ行けてるよね? この舟を渡れば次の看板が、……あれっ?」
 王子はふいに幼く開いた瞳を白黒させた。風に煽られ不規則な軋みをあげる看板、色褪せた図柄を、王子は目視だけでは納得できないらしく人差し指で宙になぞる。
「道具屋、ですねー」
 間違いなく、薬壺をモチーフにした道具屋のものである。
 思い出した。というか、この危機的な状況にカイル自身が囚われてしまいすっかり失念していたのである。
 王子は王宮内でよく迷子になっていた。物騒なことこの上ないので、毎日同じ場所に同じ警備兵を配置することで、警備兵の顔を目印に自室までの道程を覚えさせたくらいである。リオンが片時も離れないからなかなかそうと悟られなかったものの、王子はどうやらかなり方向に疎いのだ。
 どっと疲れが圧し掛かる。カイルは恨めしげに王子を睨んだ。
「王子。もしかして、今までもここでしょっちゅう迷ってました?」
「うーん、いつもはリオンが連れていってくれるから」
「じゃあどーしてリオンちゃんもいないのに一人で出歩こうとなさるんですかっ」
「だってサイロウさんに、……だってカイルがついてるし、」
「ハクジョーなさい」
 王子はついと目を逸らす。嘘の吐けない性格だから、言えば叱られると分かっていても素直に言わずにおれないらしい。ややしてゆっくり、王子はカイルを伺いながら気まずい笑みを頬へ浮かべた。
「……ぼ、冒険?」
「――王子」
「はい」
 王子がすでに首を竦める。カイルは大きく息を吸う。
「ご自身の! お立場を! よく弁えて下さいッッ!!」
 窓から人が身を乗り出してくるぐらい、カイルは王子を怒鳴りつけた。
 ――だからこの人はオレが守らないと。
 しゅんとする王子へ苦笑したくなる頭の片隅、心の中に決意したのは、実に他愛ないことだった。





献上先:昭和ワルツさま→


ねぎかいは難しかった…。

いつもホモトークで楽しませていただいてます小鳥遊要さまへ、お誕生日プレゼントでございます!
中途半端なねぎかいもどきを遠慮なく押し付けますが、これに懲りずどうぞねぎかいを推進して下さい(笑)

20070406