厭らしい笑い声。
ぬめる舌の感触は、キキョウの意思に関係なく身体へ火を点ける。
這いずり回る指が遠慮なく掻き回すソコは、ただもう熱くて。
これで仲間になってくれるなら容易いものだ。
それだけ思って、キキョウは全身の力を抜いた。
オベル王の言いつけによりひとりでも多くの仲間を探すキキョウ、本日三回目の「寝技」である。
「お前もな、多少は選んだ方がいいと思うんだ。……って、俺が言うなっつう話だが」
「…ん」
ケネスはやたらキキョウを心配してくれる。
でもこんな時、キキョウはどうしていいかわからない。
だからとりあえず曖昧に頷いた。
「俺はお前が大事なんだよ。ラズリルでも結構無茶やってたろ。フィンガーフート伯なんかお前が素直だっつってそれこそ毎日、――いや、お前が悪いんじゃ、ないんだがな……」
ケネスは溜息をひとつ、そっとこぼす。
キキョウはぎゅっと唇を引き結んで俯いた。
ケネスだって月に一度はキキョウの寝室へ来る。
ケネスはよくてバーソロミューは駄目? ダリオは駄目?
キキョウにとってはどれも同じだ。
嫌われていないと確かめるのにも、好意を持ってもらうのにも、言葉は伝わりにくくて難しい。
こっちの方が手っ取り早い。
女性と違って孕む心配もないから、わざわざ言葉という通じにくい手段で必要のない諍いが生まれるよりずっといいのだ。
「…うん」
でもキキョウは、それを説明するだけの言葉すら持たない。
だから結局、誰とも熱越しにしか分かり合えない。
ケネスの引き止める手が腕を掴む前に、キキョウは甲板を降りた。
部屋に戻りたくない。
でも戻る場所はどこにもない。
自分は何なんだろうと、考えずにはいられなかった。
目安箱の前に座り込んでいたリノは、軽く手を挙げて笑顔を見せた。
「遅かったな」
「…うん」
キキョウの寝室には、毎晩のように誰かが忍び込む。
キキョウとしては変な空き部屋に連れ込まれるよりましだと諦めているのだが、さすがにこうも頻繁ではキキョウの身が持たない。
睡眠不足と疲労で倒れかけたところをリノにどやされて、以来リノは夕方にキキョウの部屋を見張るようになったのだ。
リノは探るような目つきでキキョウを見た。
「遅かった、な」
「…うん……」
もしかして、遅くなった言い訳が聞きたいのだろうか。
ネイ島で宿星を含め十人ほどを仲間にして、チープーと商店を回って、甲板でケネスと話して、ラマダに声をかけられて、ペローの取材を受けて戻ってきた。傭兵に請われるまま身を捧げた、と。
でもどうして遅くなったとは問われていない。
ならばキキョウはうんと返事をするしかできない。
キキョウの性質はいい加減把握しているだろうに、リノは相変わらず奥歯に物の挟まった物言いだ。
キキョウの手首をぐいと引っ張って、リノはキキョウの部屋の扉を勝手に開けた。
さらにリノは我が物顔で鍵をかける。
シャワーくらい浴びたいのに。
リノは当然のようにベッドへ寝転がるし、キキョウはその横へゆくしかない。
キキョウは唇を噛んだ。
本当は、言い訳を聞きたいのではなく、もっと手早く仲間を増やせと催促しているのかもしれない。
いちいち寝てやるから時間がかかるんだ。
金ならそこそこ持たせてるだろう。
そう言いたいのを堪えて、遅かったとただ一言漏らすのかもしれない。
キキョウにはそんなことわからないのに。
駄目なら駄目、良いなら良いと言ってもらわなければ、キキョウは行間に潜ませた本音など読み取れないのだ。
(…考えるの、やめよう)
キキョウは首を振ってリノの隣へ滑り込んだ。
リノはこちらへ腕枕を寄越すと、豪快に欠伸を放つ。
キキョウは居心地の悪さを消化するようにリノの脇腹へしがみついた。
「キキョウ」
リノが眠たそうに名を呼ぶ。
「俺ぁな、あんまり若いのに無理させたかない。だけどよ、お前にならできると思ってるんだ」
「…うん」
キキョウがリーダーになったことを指しているのだろうか。
とりあえず頷いてから、キキョウは己が何に返事をしたのか考える。
無理というなら生きることそのものがキキョウにとっては背伸びだし、リーダーになったのもリノの睦言に従っただけだ。
何を言いたいのかわからない――最近リノは、キキョウに手を出さないから。
言葉はすべて表層の意味だけをキキョウの耳に残し滑ってゆく。
(…リノは、怒ってる? それとも、呆れてる?)
理解力の追いつかないキキョウを置いてけぼりに、リノはひとり続けた。
「お前が誰と何してもいいんだけどよ。さすがに毎回とっかえひっかえってのは、お前の負担もあるだろうし……辛いっちゃあ、辛い。俺も人のこと言えた義理じゃねぇがよ」
リノは深い息を吐いた。
厚い胸板が緩慢に上下するのを、キキョウは脇に額をくっつけて見やる。
出会った最初の頃こそリノはしょっちゅうキキョウを求めてきたものだったが、いつからかそれはぴたりと止んだ。
代わりにこうして時々、狭苦しくも共に眠る。
リノの股座が隆起するのも一度や二度ではないのに、リノはもうキキョウを抱かないのだ。
そして辛いとリノは言う。
分からない。
もっと奉仕しろということだろうか。
求めなくなったのはリノの方なのに?
キキョウはきつく目を閉じた。
「あのよ、キキョウ。俺ぁ怒ってるんじゃない。ルイーズもデスモンドも皆お前のことを大事にしたいんだ。もちろん、俺もな」
リノの声は太く、キキョウの鼓膜を快く揺らす。
まるで胎内に抱かれる赤子のようだ。
ゆらり揺れる羊水は母の生命。
もしかしたらキキョウに唯一残された母の記憶は、波のように寄せて返す心音なのかもしれない。
「俺ぁな、お前が実の子のようにかわいいんだ。息子みたいなもんだ。息子だからこそ危険なことでもやり遂げてもらいてぇし、立派に男らしく生きて欲しい。泰山北斗、ってやつか」
リノは笑顔を向けてきた。
逸らす暇なくかち合った目がリノの真実を伝えてくる。
キキョウとお揃いの水色だ。
表情を読むことも苦手なキキョウだが、リノの言が嘘ではない、ということだけは分かるくらい、広がる空色の目が和む。
どうやらリノに嫌われたわけではなかったらしい。
そうと分かったら一転、ほっと気が抜けた。
(…それさえ分かれば、それでいい)
途端に睡魔が忍び寄る。
自分から多くの人と話さねばならない毎日は、予想以上にキキョウを気疲れさせていた。
痺れる頭痛を悟られぬよう、キキョウはしがみつく腕の力を強める。
「お前にならオベルの未来を託せる気がするし……お前には、健やかに生きて欲しい。俺は何度もお前を啼かせたが、今更になって悔いているんだ。なぁキキョウ、いつか、どこかで、お前を本当に……」
リノの声はするするとキキョウを通り抜けた。
もう意味を考えるのはやめよう、とキキョウはリノの腹から響く振動を感じ続ける。
スノウは元気にやっているだろうか。
ラズリルの仲間たちは。
キキョウにとって、自分をここまで導いたのは単に己の数奇な運命であって、誰も恨む対象ではない。
ただ起きたことを甘受するだけだ。
誰が裏切っても、誰に犯されても。
何かを辛く思う気持ちは遠い昔に海へ全部なくなってしまったのだろう。
リノの声はキキョウの鼓動に重なる。
海が揺り籠で、海が母。
それは素敵なことじゃないか。
それでいい。
すうと溶けるようにキキョウは眠った。
リノの声はずっと、キキョウの傍で揺れていた。
思わぬ弊害というべきか。
やはり、たとえ毎晩でもきちんとしたベッドの方がましだ。
扉の閉ざされるのを聞きながら、久しぶりに数人から輪姦された己の惨状をどうにか直すのも億劫で、キキョウは倉庫の端へ座り込んだ。
足を投げ出し、ぼんやり天井を見る。
キカによるとこの船は素晴らしく治安が良いらしい。
それはそうだろう、下位欲求の捌け口はキキョウが一身に背負っているのだから。
海賊船と比べても仕方ないが、おかげでリキエみたいなか弱い女性でも安心して船旅ができるとキカは珍しく笑っていた。
キキョウは目を閉じる。
体が軋む。
臀部が痛い。
確かに与えられた快感の余韻が、気だるい重みとなってキキョウに圧し掛かった。
(…疲れた……)
好きだと言われた。
そのまま寄ってたかって陵辱された。
(…好きって何だろう)
気持ちイイから気に入った、と同義か。
それとも嫉みの裏返しか。
分からない。
考える気もあまりない。
嫌われないならそれでいい。
いずれ紋章に喰われる身なのだ。
できるだけ誰かの役に立ってから、死のう。
キキョウは眠った。
起こしに来るのが……だったら。
何も言わずに体を清めてくれたら。
もしくは、流されるなと叱ってくれたら。
そんな母親のようなひとに、いつか出会えたら。
果てない夢を、描いた。