痛みはだんだん引いていた。
痛みの原因が消えたためでなく、感覚が麻痺してきているせいだ。ただ熱い。痛いほど熱い。
四肢はとうに動かなかった。耳も鼻も利かなかった。感覚野が少しずつ死んでゆく。いずれ意識も消え去って……私は、今、本当に死ぬ。
トロイという人間が存在を終える。
紋章の黒い渦が晴れると少しだけ目が回復した。暗がる視界いっぱいに水色の瞳が迫っていた。私を抱き起こそうとする。だが躊躇う。分かったのだろう、背骨が折れていると。動かせないと。
――キキョウ。
私は呼びかけようとした。だが呼びかけは音声にならぬ。微笑もうとした。だができぬ。瞼が勝手に下りる。止められぬ。
なのに私は、満ち足りている。
いずれ私が先に死ぬ。それならお前を守って死にたい。私は覚悟を決めていたのだ。お前のためだけに死にたかった。お前のためだけに、生きていた。
――キキョウ。
そんな顔をしないでほしい。お前の笑顔を愛している。翳りない笑顔が、曇りない眼差しが、私を迎え入れてくれた心が。好きだ。
――キキョウ。
視界もついに闇へ閉ざされた。けれど網膜にはキキョウの顔が浮かんでいる。はっきり見える。今この瞬間、目の前にいるお前の顔が、私の心に見えている。
キキョウが私をそっと抱きしめるのが分かった。身体に回されるキキョウの腕は温かかった。頬にキキョウの息がかかる、あまりにも些細すぎる感覚をなぜか感知することができた。
――キキョウ。
何と……何という、幸福。私はお前に包まれて死ねる。
私は死の波に意識を委ねる。私の命の灯が尽きる。私は溶けて散じてゆく。
掻き消える寸前、キキョウの笑顔が鮮明に見えた。何か尋ねているように見えた。
――ああ、私も幸せだったよ。
お前にひとつでも残せただろうか。ひとつでも忘れないでいてくれるだろうか。ともに作り上げた記憶を。二人の思い出を。
キキョウ。
最期に感じたのは……キキョウ、お前への、確かな愛情。