こいつがリーダー?
……と思ったのも、一度や二度ではない。
とにかくキキョウは主体性がなくて人付き合いが苦手で頼りなくて危なっかしくて願望も野望もなくて。
要するに、リーダーたる器ではないのだ。
でもやっぱりリーダーだなと感じる時がある。
それは例えば最初に会った時だったり、そして今。
こうして、わざわざテッドの好きな食べ物を持ってきたりするところだ。
「あー…、どうも」
目の前には特製マグロ饅頭。
怖々とテッドの手元を伺っていたキキョウは、皿を受け取ったテッドの左手を見てぱあっと顔をほころばせる。
テッドは気まずさを滲ませたままなおざりに謝意を表した。
こういうのは、とても困る。
確かに先日初めて食べたマグロはうまかった。
だが以降毎日マグロ新作料理の試食をしたいとは言わなかった。
テッドはできるだけ他人と交わりたくないのだ。
(ソウルイーターは、近しい者を死へ誘う)
テッドは内心わずかに首をうち振るった。
真実はそうではない。
たまたま喰らう魂に近親者が多いというだけである。
戦争が起これば誰でも家族を亡くし友を亡くす。
ソウルイーターはその特性上、喪われた命の中からテッドの近くにあるものを順に喰らう。
身近でテッドと関わりを持たない者が死んでもソウルイーターはその魂を喰らうし、遥か遠くの地で死んだ近親者はその魂がテッドのもとへ飛来しない限りは喰ったりしない。
基準は物理的な可食範囲、ただそれだけだ。
しかしたくさんの友を失ったテッドにとってそれはただの理屈でしかない。
もし近くで友が死ねば、それはテッドの持つソウルイーターのせいだと、他ならぬテッドの感情がそう認識してテッドを苛むのだ。
だからテッドは周りに誰も近づけたくなかった。
苦しいのはいつも友を喰ったテッドだ。
そこまで説明してやったのに、それでもキキョウは何かと言い訳をこさえてテッドと関わりたがる。
懲りることを知らない。
こういうところだけキキョウは非常にリーダーらしいのである。
テッドは溜息を包み隠して思案した。
(どう、追い返すかな……)
ちらと盗み見たキキョウは子供のように屈託のない笑顔だ。
慌てて目を逸らすも、その拍子に、すらりと伸びる太股へ激しく擦られたかさぶたを見つけてしまう。
よく見れば二の腕にも首筋にも。
何で怪我したかなんて聞かずともわかる傷だ。
テッドは言うべき言葉を失った。
キキョウは生傷が絶えない。
理由はテッドでさえ薄々勘づいている……キキョウはとにかく男女構わず異常に性欲をそそる顔立ちなのである。
ここまで来れば一種の才能だろう。
無邪気に笑いかけてくるキキョウは本当に純朴で、なのにどうしてか空虚な印象を与える。
その不安定さが人をして触れねばならない気持ちにさせるのだ。
キキョウに仲間にならないかと誘われた者は皆、キキョウの人懐こさや不器用さを勘違いして、どうにか己のものにしてしまいたい、新鮮な表情をさせてみたいと組みしだきたくなる。
そしてキキョウは他人を拒めるような性格ではないから押し倒されればそのままだ。
逆らうことをしない。
そうやって多くの他人に蹂躙され続ける。
しかも、そこで少しでも人間不信になればいいものを、キキョウはどこまでも無垢なのだ。
まったく懲りない。
哀れだ。
テッドだってもしかしたらキキョウの一生懸命な様に欲情するかもしれないし、そうすればテッドの部屋を自分からひょこひょこ訪れるキキョウはただの馬鹿でしかない。
キキョウは何も悪いことをしていないのに。
(これじゃあ、あんまりだ)
テッドは受け取った皿をそのままテーブルへ置いた。
マグロ饅頭は早く食べないと冷めてしまう。
でももう食べる気になんてなれない。
本当に、誰とも、関わりたくない。
特にキキョウと関われば、……こいつは余計不幸になるじゃないか。
馬鹿なキキョウ、付け込む他人、罰の紋章、リーダーの地位。
どれもこれもがキキョウを虐げる。
ソウルイーターまで加われば、こいつはどれだけ苦しむだろう。
「…おいしかったら、教えて」
キキョウははにかんで笑いかけてきた。
そのままゆっくり踵を返すのを、テッドはひたすら堪えようと努力する。
仲良くしない。
必要以上に交流しない。
別にこいつが傷つこうと構わない。
いくらキキョウが損な役回りばかりだろうと、自分と同じく真なる紋章を宿していようと、テッドにはすべて関係ないことだ。
最終的にはお互いほとんど関わらないのが一番キキョウのためなのだ。
テッドはマグロからもキキョウからも、顔を背ける。
床の隅っこをじいと見つめる。
「…左手、だったらいい?」
逸らした視線の射程外、突然、思っても見ない質問が降りかかってきた。
扉の手前で立ち止まったキキョウだ。
テッドは声を上げかけ、苦心して飲み込む。
キキョウはドアノブに手を乗せて首だけをこちらへ回している。
キキョウの身長は一七〇センチ以上だと聞いた気がするが、姿勢が悪いのかテッドよりずっと下回って見える。
キキョウが水溜りのような瞳をゆらと揺らした。
テッドは打たれたように立ち尽くした。
テッドの脳内で抑えていたものがぐるぐる暴れ出す。
独りは寂しい。
友達が欲しい。
(――望んでは、ならない)
テッドは破裂しそうな咽喉を押し潰して黙りこくる。
しばらく返答を待っていたキキョウが、ついにしょぼんと項垂れた。
「…ごめん……」
どうしてこいつが謝るんだ?
キキョウは悪いことなんて何もしていない。
いつだって貧乏くじばかり引いてその度犯され踏みにじられて。
それでも懲りないのはこいつの良さだ。
キキョウは本当にいいやつだ。
(……胸が、)
しつこくきりきり痛む。
これじゃあキキョウがあまりにもかわいそうだ。
眉根を寄せたテッドはついに折れた。
マグロ饅頭を二等分し、左手で、片方をキキョウへ差し出してやる。
饅頭の外側は肉まんのようにふっくらした甘い生地。
中へたんと詰め込まれたマグロがほかほか湯気を立てている。
テッドは無言で手渡した。
キキョウは目を丸くしてテッドを見た。
濁りのない水色が大きく見開かれ、さては驚かせたかと、そっけなく突き出しただけの左手にテッドは慌てて補足する。
「あの、さ、キキョウも、味見しないか? 俺一人じゃ夕飯食べきれなくなるし、それに、……」
二人で食べる方が楽しいから。
――なんて、我ながら都合の良すぎる台詞だ。
テッドはしばし躊躇する。
半球形の饅頭が左手ごとぶるり震える。
だが次にはキキョウが笑んで、そのあまりの真っ直ぐさにテッドはすこんと杞憂を落とされた。
「一緒に食べよう」
するりと言葉が胸から漏れた。
裏へこもった奥の意味までリーダーには伝わってしまったろうか。
友達に、なれるだろうか。
目を細めてはにかむキキョウは深く頷いた。
「…うん」
キキョウはテッドの左手にすら触れぬよう慎重な手つきで饅頭を受け取る。
無頓着なように見えて意外と気を遣ってくれるらしい。
いや、そんなことくらい、テッドへの執着を見れば火を見るより明らかだ。
キキョウは気が回りすぎて誰にでも優しい。
誰にでも簡単に服従する。
すべてのものへ居場所を作ってくれる。
そして、キキョウ本人だけがいつまでも満たされないのだ。
キキョウはきっといつまでも無償の親愛や対等な友情を求め続けるのだろう。
テッドは饅頭を一口齧った。
キキョウも倣って試食する。
ああ、キキョウに縋ろうとしているのはテッドも同じなのかもしれない。
肉体的な繋がりを求めようとは思わないし、そうやってキキョウをさらなる深みへ追い込みたくはないが、こうして心をわずかでも通わせること自体がテッドの甘えでありキキョウへの重圧である。
テッドには補完的な、要するに傷を舐めあう友情しか築いてやれない。
真なる紋章の宿主ならではの孤独を埋めあう一助にしかなってやれない。
もしくは互いに紋章の弊害を押しつけあって、より冷たい呪いを味わせることにしかならないのかもしれぬ。
関わりあうことで辛くなるのはキキョウも同じだ。
それでも今だけは。
この戦争の間だけはキキョウの助けになってやるから。
(神様)
テッドは人界、そして紋章をも超越する何かに祈る。
テッドより遥かに短命だろう、紋章に魂を滅ぼされる運命であっても、どうかキキョウに幸いを。
家族の愛を、友の愛を、打算なき安らぎをキキョウに教えてやれるひとが、いつかキキョウに巡り会わんことを。
「…ちょっと……甘い?」
先にぺろりと平らげたキキョウがテッドの瞳を覗き込んできた。
テッドはできるだけ他意なく笑い返してみる。
汚い感情がこもらないよう強いてさらりと薄くした笑顔をこいつはどう受け取ったろう。
キキョウは不思議そうな目でテッドを見上げてきた。
どんな姿勢をすればキキョウより身長の低いテッドに上目遣いができるのか、テッドは思わず上体を曲げて目線を揃えてみる。
「…甘すぎた?」
キキョウが再度問うた。
変わらず不安げな眼差しを向けられて、テッドはようやく思い至る。
「これ、キキョウが作ったのか?」
「…うん……」
もしかして、今までのもみんな?
尋ねようとしてテッドは唇を噛む。
こいつが自分で作らないわけがないじゃないか。
何の反応も見せないテッドへ、毎日懲りずに。
お人好しで奉仕好きで傷ばかり増やして逃げ出すことなど考えもしないで。
小間使いのような人種である、いや。
(真実、リーダーに、相応しい)
だけどそう伝えてもキキョウは負担に思うだけだろう。
テッドはもっとわかりやすい褒め言葉を探す。
美味しいだけではお世辞っぽいし、また食べたいなどと言えばこいつは毎日自分で作るようなやつだ。
もっと簡潔で小細工のない一言を贈りたいと思う。
そんな言葉がこの世にあるだろうか。
少なくとも他者との交流を避けるテッドにはとても思いつかない。
でもキキョウには本当に感謝している。
いつまでも紋章に怯えていたってどうにもならない、この世界で人とともに生きていこうと思えたのはキキョウのおかげなのだ。
(……そういえば、まだ言ってなかった)
テッドはふいに背筋を正した。
キキョウもつられて背中を伸ばす。
そうするとやっぱりテッドより背が高い。
その目つきも問題だよな、とテッドはぼんやり考える。
「ありがとな」
霧の船から救ってくれた。
絶えない不安を和らげてくれた。
マグロ饅頭に仮託して今までの思いを表そう。
どこまで伝わったかは甚だ疑問だが、少なくともテッドがキキョウを疎んではいないことを知ってもらえればそれでいい。
キキョウはぽかんとしている。
半開きの口元がやはり艶かしく紅い。
それも問題だ。
他人を煽り立てる隙がキキョウは多すぎるのだ。
誰か忠告してやればいいのにといらぬ気を揉んで、本来ならテッドこそその役に抜擢されるべきなのかもと気づいたところでこれ以上の交わりがやはり怖くなる。
右手の紋章を恐れずにいられないからだ。
テッドは場を誤魔化すように饅頭の片割れを食べきった。
再び床へと目を逸らす。
唐突なテッドの発言を咀嚼していたのかしばらくぼうっと立っていたキキョウは、テッドがそれ以上何も言わないと見て取るや今度こそ退室しようとドアノブを回す。
去り際、ぽつり、寂しげな一声。
――…明日、戦って。
届くや否や、そのまま音も立てずに扉が閉められた。
それはテッドが今まで拒否し続けてきた遠征だ。
テッドは扉と右手を交互に見つめる。
もし、テッドの隣でキキョウが死んだら、ソウルイーターはきっとキキョウの魂を喰らうだろう。
あるいは真なる罰の紋章がキキョウの魂を粉砕する方こそ先やもしれぬ。
どちらにせよまっとうな死に方ではない。
テッドはぎゅうと右手を握り締めた。
いつもより思考を一歩進める。
物事が良い方へ動くよう考えてみる。
もしキキョウが死ねば、の続きをテッドは最も恐れている。
ならば、そもそもキキョウを死なせないようにすれば良いのだ。
ソウルイーターの破壊力を以ってすれば大抵の魔物は容易く倒せるし、左手に宿す水の紋章は負傷したメンバーをいち早く回復させることができる。
遠距離攻撃の腕前もそこそこ役には立つだろう。
(友達の頼みなら、仕方ないよな)
テッドの前向きな姿勢はこの時ようやく萌芽する。
どうしていいか分からぬ思いを、テッドはひたすら弓矢の手入れに費やした。