さりとて三叉の螺旋は息吹く





カラヤの若者たちに不穏な噂が忍び寄っていた。
終戦からはや一週間。
戦後の処理もあらかた終えて、そろそろ身の振り方を決めねばならぬ時期になる。
だがカラヤ族の帰るところは焼き払われてすでに無い。
若者たちは志高く、ならば今こそクラン再建に向けて団結すべきだと、次期族長である炎の英雄ヒューゴの指図をひたすら待っていた。
ところがヒューゴはビュッデヒュッケ城からなかなか腰を上げようとしないのだ。
今朝になってようやく戦後初めての命が下されるも、ただ宿屋の一室を警護するよう告げられたのみ。
カラヤの将来への不安は真夏の鍋釜の塵のように淡々と積もる。
どこからともなく流れてきた不審な噂は、そんなカラヤ族の胸中にするりと馴染む内容であった。
閉ざされた客室へ潜むもの、それはカラヤクランを滅亡せしめグラスランドを戦乱に陥れた、あの破壊者に他ならぬというのである。
もちろん多くにとって寝耳に水の話だ。……だが、ここ数日のヒューゴを鑑みるに信憑性が極めて高く感じられる。
「破壊者が襲撃を仕掛けてきた」という昨夜の騒動と併せて、噂は瞬く間に事実として城中へ広まった。
今のヒューゴに一族を鎮めるだけの力はない。
破壊者が生きていたばかりでなく、あまつさえそれを保護するとは。炎の英雄は気でもふれたのか。
故郷という寄る辺のないカラヤ族はヒューゴの指揮に従う者と放棄する者とに二分される。
一族の強固な結束が今まさに解けようとしていた。


幾人もが事の真偽を質しに訪れるも無用の混乱を避けるため黙秘を貫くしかない。
戦争の空しさをまだ心得ぬ女族長ルシアの苛立ちは、灼熱の日差しが西方へ黄ばみ始めるに至り、もはや絶頂に達す。

そしてルシアは、仇敵ゼクセン連邦によってさらなる苦境へ立たされることとなるのであった。





ルシアとヒューゴを会議室へ招き、話がしたいと集まったのはゼクセンの六騎士。
ルシア側もリザードクランの族長補佐バズバを同伴させたため、会議室はにわか緊張へ押し包まれた。
ルシアはこれから何が起こるか予測できている。
宿屋に匿う罪人のことも知れているのだろうと、それでもヒューゴの行為を否定するつもりなく現実を見据えて、ルシアは気を引き締めた。
(このビュッデヒュッケ城を、ゼクセンへ売却せよと迫られるはずだ)
村を焼き払われたカラヤ族は再建が叶うまでどこか他の地へ移住するしかなく、それはこの城をおいて他にあるまい。
そうなればゼクセンは北をカラヤ、南をティントに抑えられる。
ティント市長の一人娘がカラヤ次期族長と懇意なればなおさら、ゼクセンは袋の鼠だ。
炎の運び手による戦争で多少なりとも国力の落ちている今、南北から同時に攻め込まれたらいくら鉄頭とてひとたまりもないだろう。
ゼクセンの領土は削り取られる。
だから、もしルシアが鼠なら、カラヤクランが村再建のため多額の資金を必要としていることを承知した上でビュッデヒュッケ城の買収を持ちかけるに相違ないのだ。
幸いにしてビュッデヒュッケ城は此度の戦争のおかげで民が集い、商業を中心に発達し始めているから、以前のような荒城へ戻りはしまい。
ゼクセンとしては喉から手が出るほど取り返したい地になったのである。
「ルシア殿。不躾な招集ながら取り急ぎお越しいただき、ご厚情誠に痛み入る」
ルシアは思考を打ち切った。
折り目正しい前置きを寄越したのはどこか不可解な表情のクリス=ライトフェロー。
腑に落ちないといった幼い表情は、騎士団長がまだ渉外的な駆け引きに慣れぬ様子を浮き彫りにする。
されど、しばし逡巡したクリスはいきなり本題を口にした。
「恐れながら、貴殿が所有する当城について」
来たか。
ルシアは冷たい視線をサロメへ注ぐ。
入れ知恵をしたのはこの男か、またはシルバーバーグの血を引く食えない軍師のどちらかだ。
そしてカラヤクランの未来を思えばルシアは提案を受け入れざるを得ない。
ルシアは臍を噛む思いである。
もし村が焼き滅ぼされていなければ、カラヤは東と北からゼクセンを挟撃できたのだ。
どれもこれも終わったことではあるが――破壊者へと転化していた恨みが再び正しくゼクセンに向かうのを知覚して、ルシアは暗く嘲笑する。
何と愚かな。
歴史は繰り返され、惨劇は繰り返される。
それでも信じる道ならば、我らは進むしかないのだ。
「貴殿はこのビュッデヒュッケ城を二百ポッチで買収されたと聞く。そこで、我がゼクセン連……」
クリスは言い淀む。
ルシアはただ待つ。
申し出るのはゼクセンからでなくてはならない。
カラヤに残された最後の誇りだ。
今は村再建の資金に屈しようとも、いずれ力を蓄え子を養って、カラヤはゼクセンに牙を剥く。
それまでの苦渋はいかばかりだろう。
耐え忍ぶ月日は、ひたすら良薬のごとし。
ルシアは彼女自身が打ち倒すにふさわしい銀の乙女を冷たく見据える。
(……何だ? 落ち着きのない)
苦悩を表には決して出さないルシアと対照的に、クリスはやにわに四方へ目をさ迷わせた。
傍らのヒューゴも、同じように、右手の甲を左手で握り締めるように押さえてきょろきょろし始める。
奇妙な空気を察したルシアは身を硬くした。
「大変です!!!」
クリスとヒューゴの視線が同じところを指した時――それは遥か東であった――会議室の扉が乱暴に開かれた。
飛び込んできたのはカラヤとゼクセンの兵士。
閉め切られていた会議室へ外界の熱気が進入し、べとつく気流がルシアを乱す。
ゼクセンの兵士はつんのめりながら六騎士へ敬礼した。
クリスの方へ何事か囁いている。
クリスの表情が驚愕にか歪む。
何か、ただならぬことが起きたらしい。
こちらも大粒の汗を垂らすカラヤの兵士は、仇敵の様子を凝視するルシアへ、肩を引き寄せるようにして耳打ちした。
「……破壊者、が宿屋から逃走しました!」
ルシアは目を剥いた。
三十名からの兵で固めていたのだ。
どうやって。
「事が鉄頭どもに漏れて、広場は我がクランと奴らの睨み合いになっています」
いつの間にか睨み付けていたクリスと視軸がかち合い、咄嗟に閊える視線を兵士へと外す。
兵士は竦みあがって口を閉ざした。
「ルシア殿、よろしいか」
ルシアの狼狽を掬い取るようにサロメが強張った声を発す。
何、と目で問うルシアへ、サロメはゼクセン兵士を前へ押しやりながら応えた。
「我ら騎士団の斥候より火急の事態がもたらされた」
ゼクセンの兵士は促されて、先ほどクリスへ告げたのと同じことを会議室の皆へ報せるために乾いた口を開く。
兵士の震えが声に、そして空気に伝染する。
聞かずとも内容の見えた気がして、ルシアは本能から恐怖する。
「何か」を母親より敏感に感じ取っているらしいヒューゴが、「何か」をかすかに呟いた。
兵士は、象の斃れるようにいなないた。
「ハ……ハルモニアが、動きました……。目標は当城の占領」
ハルモニア。
占領。
呻きが、居合わせた全員から漏れた。
もしハルモニアがビュッデヒュッケ城を支配下に置けば、ゼクセンにとってもグラスランドにとっても等しく脅威。
カレリアとビュッデヒュッケの東西から大国の圧力がかかることになるのだ。
こんなところでいがみ合っている場合ではない。
クリスがヒューゴへ目配せした。
すぐに頷いて、ヒューゴはクリスとともに会議室を走り出る。
「将はササライ、カレリアからの増援が加われば戦力一万以上。ブラス城は既に防戦体制を整えております」
儀式の地で終戦を迎えた際、ゼクセン及びグラスランド双方と友好な関係を築こうと、神官将ササライは確かに約したのである。
あの誠実な人柄でさえ信ずるに値しなかったか。
それともまさか、ハルモニアが破壊者の生存を嗅ぎつけたか?
城の外へ漏れぬよう厳重に秘匿していたものが、何故、どうやって?
(……内部に裏切り者がいる)
順当に考えれば、そういうことだ。
ルシアは奥歯を噛み締めた。










破壊者、存命。
風を入手せん。

於、儀式の地。





「ディオス。カレリアと……本国にも同様の伝令を。――全軍、旋回!」







坊ルク満載はここからです!腕を磨きます!

…以下、言い訳です。
この話を含む3話分を赤毛弟へいっぺんにやってもらおうと思っていたのです。
それがここまで分割されたのは赤毛弟(と坊)がヘタレだからです。
誰も彼もヘタレになる病気が大流行!
(って、それ赤毛も坊も悪くないんじゃ…感染源は私…orz)
おかげでとっても読みにくくなりましたね、坊様とルックの出てこない坊ルクなんて誰が読むんだっつうね。
…今はこれで精一杯でございます…幸せな坊ルクのために邁進します。

実はこのタイトル、各文節の頭文字を取ってみると…あらびっくり、あなたのための1章でしたか。

20060306