ぱち、と目が開いた。
ここ、どこだっけ。
白い天井。
朝の光。
さらさらのシーツ。
夏の匂い。
隣に、体温。
触れ合う素肌。
黒い輝き。
「起きた?」
思い出した。
昨昼目が覚めて。
何故か生きていて。
昨夜殺されかけて。
暴走。
それから。
焦がれ続け求め続けた、唯一の男と、めぐり逢い。
あわせた肌は熱かった。
痛みも恐れもすべて快楽に飲み込まれた。
動かない右手も、潰れた喉も、どこもかしこも一色に。
あんたの色に、染められた。
「思い、出した……」
「それは良かった。十八年越しの本懐ですから」
蕩けそうな笑みが、口付けとともに降りてきた。
隣には、アスフェル。
誰よりも何よりも失いたくない、ただひとつの。
命よりも罪よりも遥かに重い、たったひとつだけの。
僕の、愛する男だ。
額に擦り付けるようにして唇を触れさせ、贈られる言葉。
「おはよう」
それは夜明けに聞いたのと、同じ響き。
何度も耳元で囁かれたことば。
「何? ……ああ、何回でも、言うよ」
甘やかな桃色のきらめく黒瞳を見上げる。
それだけでアスフェルは言わずとも察す。
聞きたいんだろう?
伝えたいことも言えなくて強がりも言えない僕のために、先回り。
優しい瞼が、そっと閉じられた。
「ルック」
うん。
それが聞きたい。
「愛してるよ、ルック」
もっと聞きたい。
もっと聞かせて。
「愛してる」
命は尊い。
罪は消えない。
でも悪いことをしたとは思っていない。
だって他に、どうすればこいつを救えるっていうの?
こいつの笑顔を、守りたいんだ。
胸が痛い。
僕はあんたと一緒にいられないよ。
こんな失敗くらいで、潰えるような半端な覚悟はしてないんだよ。
僕は、あんたを。
アスフェル、あんたを、幸せな未来に導きたい。
「何? ……ああ、何となく分かった」
僕の髪を撫ぜながら、あんたは当然のように言う。
あんたに隠し事なんて、できないみたいだ。
じゃあ早くどこかへ行って。
僕の決意が揺らがないように、その顔を見せないで。
嘘。
アスフェル、お願い。
愛してるって、言って。
得意げな表情。
ベッドの上のあんたは、昔から素直だったね。
互いに裸身を晒すのは、初めてだけど。
「ルックよりもいい方法を、見つけたつもりだよ」
自信に満ちたあんたは格好いい。
贔屓目だって、分かっていても。
やっぱり、好きだ。
「聞きたい?」
「いらない」
後に何が続くのか、期待させないで。
「でも言うよ」
いらない。
「あのね」
「いらないって……」
「塞ぐよ」
ちゅ。
「一緒に、戦おう」
僕の弱い心ごと、持ってかれた。
「考えとく」
「答え、出てるくせに。強情。いじっぱり。お子様ランチ。こまっしゃくれ」
「煩いよ」
「でもやばいくらい愛してるんだ、何でだろう?」
「……知らない!」
「俺趣味悪いのかなあ、それとも」
「変態なんじゃないの」
「ルックがかわいすぎるんだよね」
腕に抱かれた。
たくさんくれるのは、接吻と、言の葉。
こいつはこういうやつだ。
僕の不安なんかお見通しで、僕のためにならいくらでもやる。
今ならわかるのに。
昔は互いに幼かった。
だからあんたの気持ちにも、強引に蓋をした。
そう、初めて告げられた、別れの日にも。
あんたを絶望の底へ叩き落として、僕はひとり去った。
あんたの焦燥も恋慕も見ないふりで。
僕のうちへ住まう愛情にも、気づかないふりをした。
アスフェルの胸へ、頬を寄せようとした。
途端に全身を貫く痛み。
それはそうだろう。
あれだけ無茶させられたのだ。
紋章と、アスフェルに。
しばらくは、魔力が回復しそうにない。
肉体の方が過負荷に耐え切れなかったのだ。
城内にある他の紋章の気配、下位紋章にでさえもいちいち内臓が痛む。
僕は息を止めて遣り過ごした。
「口、開けて」
また勝手に読み取ったの?
抵抗は胡乱な目を向けるに留めて、僕は食いしばっていた歯列を開く。
案の定、するりと舌が入ってきた。
穏やかな、魔力とともに。
体がふわふわした。
最後に下唇を吸って離れた舌が、子供っぽい笑みをかたどった。
「今のはちょっと卑怯かな」
どちらが理由で、どちらが口実かなんて。
本当はふたりとも、どうでもいいのに。
いたたまれない羞恥へ苛まれる僕のための、思いやりだ。
悲鳴を上げる肉体を無視して、僕は無理やり体を捻る。
隣へ横たわるあんたと、向き合えるように。
でもまだ、目は合わせられそうにないよ。
だから、その代わり。
そのままなし崩しに、アスフェルの首へ両腕を回した。
思いきり力を込めた。
声帯の震えが、耳に直接伝わる。
抑えきれないといった風で笑っている。
ああ、もう体力が限界だ。
早くして。
「愛してるよ。ルック」
じかに鼓膜を震わす、あんたの囁き。
うん、それが、聞きたかった。
どうしようもないくらい近くで、聞きたかったんだ。
僕の体からくたりと力が抜けた。
そのまま、指先も動かせなくなった。
激痛。
全身の痛みに目が回る。
でも嬉しい。
これが、嬉しいという気持ちなのか。
じんとして、心が揺さぶられて、何か塊が感じられる。
「幸せって、言うんじゃないかな」
しっかり見抜かれていたらしい。
体に障らないようそっと僕の体勢を直して、アスフェルはのたまった。
「どう、違うの」
「ルックだけじゃなく俺も同じ気持ちだから。こういうのは幸せって言うんだよ」
とびきりの笑顔で言われたら。
理屈じゃなく納得させられる。
幸せ。
これが幸せというなら、僕にはそんなもの必要ないと思うけど。
たまらない。
あんたと同じ気持ちだなんて、考えただけでも、幸せだ。
これが幸せっていうんだ。
僕は穏やかな波に身を任せた。
降り注ぐ、幾つものキス。
額に、瞼に、頬に、唇に。
余すところなく、埋めてくれる。
アスフェル。
小さく小さく呼んでみた。
聞きたかった言葉が返ってきた。
ああ、今、僕は。
生きていて、良かった。