二頭はいきなり失速した。
つんのめるように急停止。
ひらと着地するなり手近な木の幹へ手綱を結びつけたエースが、素早い動作で西方より運搬してきた密輸品を抱え降ろそうとする。
ぱちん、その袖先へか細い音が鳴った。
エースは思わず目を瞠る。
密輸品――すなわちルックは馬上にて傷だらけの肢体をぐったりさせて喘いでいる。
どう見てももう一人で動けそうにない。
にも関わらず、ルックは高熱に侵され朦朧とする意識を無理に固持してまでエースの手をうち払わんと足掻いたのである。
「ったく、大したもんだ」
エースは大仰に肩を竦めた。
ついでに舌打ちまでしたエースを束の間睨めど、ルックはすぐにだらりと左腕を垂らす。
そもそも今の状態でこれ以上の抵抗などできるはずがないからだ。
力尽きたルックは馬首へ熱い額を押し当てながらぜいぜい呼吸し、時折さも苦しげに唾を飲んだ。
これではまるで手負いの獣ではないか。
みだりに他者へ触れられたくないに違いない。
やや哀れんで嘆息するも、エースは強引にルックを馬から引き摺り降ろす。
もはや歯向かう力もないルックは再びエースの腕を押し退けんと試みて、退けるどころかやはり自力で立つことすら叶わずに、助け起こそうとするエースへ凭れかかりながら草原へずるり崩れこんだ。
ビュッデヒュッケ城にて無常なる衝突の勃発する頃である。
眼前に佇むは儀式の地。
以前と異なる形状で再建されている。
饐えた腐臭が鼻孔を突いた。
遺跡は砂埃に霞んで見える。
いや、霞んでいるのはルックの視界もだ。
ルックは朦朧とする頭でゆっくり周囲を見渡した。
灼熱の太陽はとぷんと地平の彼方に沈み去り、生温い蒼穹は次第にその濃度を深め行く。
乾いた風が絶えずルックの柔らかい猫毛を揺らす。
ルックは歩くどころか身を起こすこともできずにエースへ背負われて、先行するゲドに続き、遺跡の内を進んでいた。
静まり返った遺跡の通路。
二人分の靴音だけが狭い壁間に反響する。
どうやら魔物はいないようだ。
ルックは目を――視覚に該当する風の感覚を凝らした。
短い一本道の先にはぽっかり開けた空間があり、吹き抜けの中央は十坪程度の大祭壇が一つと周囲に小台座が五つ。
風のもたらす映像だ。
優しい風は五感の利かないルックに代わって周囲の様子を伝えてくれる。
広く設えられた舞台のような大祭壇は地上から二尺ほど隆起する星型五角形。
祭壇の五隅にそれぞれ屹立する五本の柱で支えられた朱色の低い天蓋が荘厳だ。
小台座はつるりと光沢を放つ不思議な石でできていて、その黒光る側面は覆うもののない頭上からわずか見える一等星の明かりをちらちら反射している。
大祭壇を囲んで各先端の延長上に位置する小台座は、以前のように真なる紋章の封印球だけを安置する形ではなく、例えるなら、人が手を置くのにちょうどよい高さと窪みになっていた。
シンダル族の持つという変化の紋章は目的に応じて姿を自在に変え得るものなのだろうか。
もしそうならこの遺跡は今必要とされている用途に合わせた構造であるはずだ。
「誰が」、必要としているかというと、……きっと、あいつに違いない。
すべてはあいつの敷いた路線に従っているはずなのだ。
脳裏に鮮やかな緋布がよぎる。
エースはぐるりと五つ並ぶ台座の手前でルックを座らせた。
振り返りもしないゲドがさっさと祭壇上へ乗ろうとするのへ、うずくまったままルックは小さく呼び止める。
「……そろそろ……聞かせてほしいんだけど……」
自分でも吃驚するくらい弱々しい声しか出ない。
間断のない痛み、真夏のぎらぎらした日射が続くこと数刻。
昨日まで仮死状態だった肉体に何時間もの乗馬などはなから無理があったのだ。
それでも簡単に意識を手放さないのがルックの性であり、そうすれば余計苦しいだけなのに、熱に浮かされる瞳へなおも強い光を湛えようとする。
潤む翡翠に射すくめられたゲドはやむなく祭壇へ掛けていた足を止めた。
「……何で、僕をここまで連れてきたわけ……?」
「話す必要は」
「あるよ……。僕が当事者なんだから」
ゲドは苦虫を噛み潰す。
エースが二人の後ろで聞き耳を立てているからだ。
気の好いエースはゲドとルックの間へ無粋に割り込むことなどしない。
しかしわざわざ自分からその地を遠ざかってまで二人の話を聞かないようにしようとも思わないだろう。
ゲドは仲間に聞かせたくないと唇を引き結ぶ。
その頑なな様子へルックは構わず視線を注ぎ続けた。
実はルックにとって今さらゲドの意図を知ったところでどうなるわけでもない。
ここまで来てしまっては何も変わらないと分かっている。
分かっていながらルックは敢えて、どうにかしてこの男の本音を引き出したいと強く願ったのだ。
それはただ振り回されるのが嫌だという根っからの人間不信からかもしれぬし、もっと他の子供っぽい理由があるのやもしれぬ。
だが決してそれだけではない。
心が何かを命ずのだ。
ゲドの内に巣食う矛盾を斬れと、それこそ紋章の矛盾であり得ると、心のどこかがうるさく喚く。
ルックは荒い息でかさかさの唇をできるだけ綺麗な弧になるよう曲げてみた。
「……言いたくないなら……僕が言おうか」
ゲドは何かを焦った様子。
途端に目つきが鋭利になる。
二十歩分ほど空いていたルックとの距離を、ゲドは慎重に半分まで縮めた。
石床に踏みしだかれた砂の擦れる音が近づく。
ルックの右手は呼応してずきずき疼く。
眉を顰めたルックに気づいたのか、ゲドはそれ以上詰めようとせず、その分ことさら穏やかに語りかけてきた。
「最後の手土産に教えよう。ルビークはハルモニア神聖国に追従するつもりだ。だが今は仮面の神官将へ加担した罪を問われている。お前の生存は虫使いによってすぐササライ様に報告され、ササライ様は、お前の真なる風の紋章をハルモニアへ持ち帰ることができればルビークの咎を見逃すと仰った」
ゲドの声はルックの鼓膜にわあんと反響する。
ルックは意識を手放さないよう、地べたへざらつく砂をきつく握り締める。
「虫兵によるお前の暗殺は未遂。しかし今頃、ルビークの早打ちがお前の逃亡先、つまりこの地をササライ様に告げている。ササライ様がここへ着き、お前を本国に連れ帰ることができれば、ルビークの罪は軽減されて二等市民への道が開けるのだ」
ゲドは低くゆっくりと、口上、を述べた。
それは所詮台本。
ゲドの言う筋書きはただの弁解にしか聞こえない。
なめられたものだ。
ルックは冷めた言葉を放り投げる。
「……裏を、聞きたいんだけど」
ゲドには単なる同情以外でルビークへ助力する理由がない。
そしてゲドはあくまでもハルモニアに雇われた傭兵であり、ルビークを擁護できる立場にもない。
ならば余計に、ゲドがルビークのためだけに行動するわけがない。
すなわちゲドの話はゲドの行動理由をササライの命令と邪推させるための詭弁に過ぎないのだ。
そしてササライをよく知るルックには、これがササライの思惑ではないとすぐ分かる。
あの箱庭育ちにそこまで頭の回ろうはずがないからだ。
ゲドは誰か他者の策を介入させている。
過去の経験で言うならば、それはまるで、二度の宿星戦争を勝利に導いた血統の匂い。
ルックは笑みを模ったまま吐き捨てた。
「……もういいよ……。そもそもここへ僕を連れてくることが……あんたの話の矛盾点だからね……」
ほとんど囁きに近い声しか出ない。
されどできるだけ背筋を伸ばす。
上下の感覚があやふやで、そうでもしないと真っ直ぐ体勢を保てなくなる。
ルックはふらつく視界で凛とゲドを見据えた。
もしハルモニアやルビークの面子を立てたいのなら、仮面の元神官将はビュッデヒュッケ城へ留まった方が良かったのだ。
そうすればハルモニアがルビークと内通してビュッデヒュッケを攻め落とす良い口実になる。
つまり、逆に言えば、その事態を避けるためにルックはここまで連れて来られたに違いない。
ゲドは彼なりにビュッデヒュッケを守ろうとしている。
そう、本来ゲドは炎の英雄の同志でこそあったのだ。
「……ならあんたの目的は絞られてくる……。死に損ないの弟を餌にして……すぐ人を信じる単細胞な兄を、ここへいざないたいからだ」
ゲドがわずかに身を揺らした。
ルックの背中越し、不安げな眼差しはエースのものか。
それはゲドへ向けられているようにも感じられるし、もしかしたら少しはルックの体調も心配してくれているのかもしれない。
確かに、こんな仲間がいれば、さぞかし居心地が良いだろう。
ルックはせめてもの情けなりと急いで言葉を紡いだ。
「結局あんたは……炎の英雄の遺志を継ぎたいという建前のもと、生活の楽なハルモニアへずっと居座っている。たかが傭兵で……本国を牽制できるわけでも……重要な情報が入手できるわけでもないのに……」
ゲドは何か言おうと口を開く。
ルックはそれを待たない。
ぎりり、鉄杭を打ち込んだ。
「――あんたは、自己矛盾を、解消したいんだ」
ゲドが目を剥く。
打たれた胸は痛かろう。
欺瞞の簾が取り除かれる。
「黙れ!」
「あんたは……ササライが独りでは来ないと確信してるね……。……この地へササライごとハルモニア正規軍をおびき寄せ……僕の風かあんたの雷で殲滅する気じゃないの?」
「黙れ!!」
「最悪……ここでどれか一つの紋章が暴走しても……被害はビュッデヒュッケ城まで及ばない。紋章が三つあるんだから、どれか一つを暴走させといて……程良いところであとの二つを使い、宿主から暴走した紋章を引き剥がせばいい……」
ついにゲドは硬直した。
ルックはさらに傷穴を抉る。
「……炎の英雄は……自分のためだけに生きて死んだ。……あんたはそれが羨ましいんだ」
「お前ごときでは!! 我が友の至った境地には立てまい!!」
ゲドは雷のごとく激昂した。
ルックは燃えるような熱の中、赤らむ網膜へきわめて冷静にゲドを映す。
もたつく頭にゲドはぐにゃりと歪んで見えた。
赤い。
赤い装束、赤い棍を掲げた炎の英雄ヒロは、かつてその身に真なる火の紋章を宿した。
彼の苦難たるやまさしく筆舌に尽くしがたい。
紋章を巡ってハルモニアに捕らえられ、数年かけてようやく脱獄、懲りずに炎の運び手を率いてハルモニアのグラスランド侵攻へ対峙するも、さなかに真なる火の紋章を暴走させる。
結果、自他軍ともにほぼ壊滅。
だがそのおかげかハルモニア軍は一時撤退。
そして、これ以上戦いを続けるのは得策でないと、炎の英雄はハルモニアへグラスランドと五十年の休戦協定を結ばせることに成功した。
その後、愛するものと同じ時間を歩むべく真なる火の紋章を密やかに外し死んだという。
紋章のせいで運命を狂わされた男は、劇変する運命の中、果敢に己の為したいことを成し遂げたのだ。
――すべてに甚大な被害を与えて。
ルックにはこれのどこが英雄と称賛されるに値するのか分からない。
彼の性格が誠実、率直、または溌剌とした、多くの者へ希望を抱かせるに足るエネルギーの持ち主であったのだろうとしか思えない。
炎の英雄は、グラスランドの人民のためを謳い、休戦協定を結んだからこそ英雄になったのである。
決して彼の行為すべてが優れていたわけではないのだ。
ルックは一刀のもと、斬り捨てた。
「愛はそのためすべてを犠牲にしていい免罪符じゃない」
炎の英雄はたった五十年の休戦協定で満足した。
五十年後に必ず再び訪れる戦乱への責任を放棄したのだ。
そしておそらく、炎の英雄が勝ち取った五十という数字は、愛する伴侶が少なからず存命している期間の目安であったのだろう。
壮大なまでのエゴイズムだ。
「すべてと引き換えにしてもいいほどの人間愛が、人造のお前などに分かるものか!!」
ゲドは振りかざした両拳を握り締める。
「……愛のため無自覚にすべてを傷つけ……それでもその懸命さゆえに皆へ歓迎された男の、何を理解しろって? 僕は同じことを意識的にやっただけだ。炎の英雄と違って……僕は破壊する相手を選んだだけだよ」
「黙れ!!!」
ゲドは短く叫んだ。
あと少し。
己と同じく紋章に魅入られた同胞へ、ルックは覚醒を促さんととどめのひとことを放つ。
「……犠牲は、少ない方がいいだろう?」
ほら、争いは避けられないものだろう?
綺麗事はもう通用しない。
ゲドが今からしようとしているのは敵に犠牲を強いるやり方だ。
紋章の力に頼って人を殺そうとしている。
まさに紋章の思う壺。
あんただって、昨日までの僕と同じ理論で動くんじゃないか。
「だ、黙……っ」
ゲドは、凝然と息を飲んだ。
――さよなら。
別れを告げられたあの日。
戦果に満足するのは彼だけで。
――本当に、か?
自分ももうひとりも、ただただ、どうして、と。
切ない思いを抱えずには。
満ち足りなさをすり替えずには。
――待っ……。
「……僕も」
ルックは小さく声にする。
呆然と立ち尽くすゲドが曖昧な視線をふらりこちらへ向けてくる。
「……僕は、あいつの未来を……守りたかったんだ」
ルックはぽつりともうひとつの本音を口にした。
完璧な人間などこの世には存在しない。
どんなに正しく振舞おうとしてもどんなに善悪を考えて行動しようとしても、最後の最後には、己が心の欲するままに生きてしまう。
炎の英雄だって後先のことなど一切考えずに紋章を外したのだろう。
心に嘘はつけない。
我慢してもしきれない。
だから、ルックもゲドも、すべてのひとが。
互いにぶつかるのも争うのも仕方のないことだからこそ。
相手の愚かさを、己が愚かであることと同様に、認め合わねばならないのだ。
でなければ先には進めない。
「……あんた……、レックナート様に会った……?」
ふいに思いつき、逸れた問いを投げてみる。
ゲドは何もかもがない交ぜになった葛藤の表情でただ一度だけ首を横に振る。
レックナートは宿星戦争の管理人。
宿星戦争を見届け、相争う真の紋章へその勝敗を達するのがレックナートの役割だ。
もう決着がついたはずの宿星戦争で、勝負を裁くべき人物であるレックナートがまだゲドたちの前に姿を現していないのか。
ルックは無意識に天空を仰ぐ。
それは、つまり。
まだバランスの執行が為されていない。
「此度の勝敗が……まだ決してないってことだ」
ルックは呟いた。
ばさり、暗幕が落ちた。
ルックは今までこの身を苛む苦痛について単に魂が傷ついただけだとは考えていなかった。
真なる風の紋章が真なる火の紋章へ負けたことによる、宿星戦争の敗者に対する神々の制裁であると捉えていたのである。
かつての宿星戦争において敗北した勢力下にあった紋章はいずれも行方知れずになっている。
それはこうやって一定期間力を封じられるからだとルックは判断していた。
しかし、レックナートが勝者の前に姿を見せていないという。
此度の戦争にはまだ決着がついていないのだ。
――神の決めた運命が、歪み始めている。
思い当たる理由といえばルックが一〇八星の奇跡によって死を免れたことか。
星たちの奇跡は天魁星の望みをひとつだけ叶える力があるようだ。
今回の天魁星は、この空しい戦いが単なるルックの敗北で結論づけられるべきではないと、そう願ったのかもしれない。
世界創生の物語。
秩序の象徴たる剣と混沌の象徴たる盾との最初の争い。
剣を飾っていた秩序属性の宝石と、盾を飾っていた混沌属性の宝石は、それぞれ真なる紋章となってこの世界に降り注いだ。
神の化身たる真の紋章たちの目的は最初の争いに決着をつけること。
つまり世界を秩序または混沌いずれかの極性へ傾けることである。
両陣営は人間を介してしか力を発することができず、ゆえに人間へ代理戦争をさせるしかない。
たびたび起こる宿星戦争は、創生から止むことのない、この世界そのものに課せられた運命だったのだ。
「……どちらかの陣営が完全勝利した時点で……世界の終末が決まるのなら……」
ルックはわざと声に出す。
どこかでレックナートが聞いている。
「どの宿星戦争も、『引き分け』で終わらせることができるのなら……!」
ルックは大祭壇を注視した。
遺跡は「誰の」望みに応じて再建し得たのか。
アスフェルか、此度の天魁星か。
(または、――)
刹那。
ルックは見た。
灰色の世界がひびの入った鏡のようにぱりんと砕け散る。
風が吹き抜ける。
いろがおとがかたちがにおいがありとあらゆるすべての命が、生き生きと光り輝きはじめる。
極彩色を放つ世界。
眩く命の躍る歓喜。
垣間見えたそれは瞬時に神へ掻き消され、ルックは思わず右手を見た。
こいつは封じられているのではない。
わざと、他者による干渉を拒んでいる。
ルックに何かを伝えようとしているのだ。
やっと分かった。
(これが、正解だ……!)
「……紋章は……戦うことそのものを、失くしたがっている……!!」
だから幾度も宿星戦争を起こすのだ。
いつかどちらかの属性に世界の支配権を委ねたがって。
どんな争いも一切起こらない完璧な世界を構築したがって。
紋章に化する神々は、世界中のありとあらゆる不平等を一切認めたくないのだ。
だから戦う。
戦いを失くすための戦いである。
「戦いの果てに……戦いが、失くなるだなんて……」
そんな、――幻想。
人間が愚かであると同様に、真なる紋章、すなわち神もまた愚かであったのか。
ルックは右手を握りこんだ。
ならば、ルックは何のため生まれたか。
神が人間をして作らしめた生命。
魂の核が真なる風の紋章と結びついてしまい、決して分かつことのできなくなった異形の存在だ。
もしルックが、他ならぬ神々の嘆きを聞き取るために紋章と融合したのだとしたら?
神が決めた未来への反逆はやはりルックに課せられた運命であって、しかしここでまだ裁かれていないというこの事実こそが、ルックが運命を乗り越えることのできた証なのだとしたら?
真なる風の紋章はわざと眠りについている、もしそれが、ルックを神々の運命から解き放つための神自身の意志だとしたら?
(神々は……人間のように……慈愛を持っている)
突如、風がぎいんと警鐘を鳴らした。
ルックとゲドのほぼ中間。
大地が大いなる力にうねる。
歪曲。
転移。
出、現。
「……久しぶり」
ルックは唇をきつく噛んだ。
青い礼服、土の魔力。
右手が焼ききれそうな痛みに激しく脈打つ。
敵領に単独で乗り込んできたか。
ルックの問う前、生まれながらの神官将は問わすまでもないと疑問に答える。
「部隊はもうほんの数分で着くよ。僕が、今から全体を転移させるからね」
ルックは全力を込めて己が対となる翡翠を睨みつけた。
同じ遺伝子は共鳴し合って体の内を掻き毟る。
傷ついたルックの身体を容赦なく痛めつける。
あまりの激痛に地面へ這いつくばったルックの上、見下すことしか知らないもうひとつの翡翠。
「本当に生きていたなんて。ヒクサク様が、お喜びになる」
真なる土の紋章を宿す、ルックと同じクローンのひとつ。
神官将ササライは、無邪気な笑みを口元に乗せた。