あたたかく薫る





遠征に怪我はつきものである。
しかし今回は、英雄の虫の居所が悪かった。





相も変わらずモンスター狩りを好むリツカに振り回され、軍資金という名目の下、一同はまどセット1と骨董品を求めてバナーの峠を探索していた。
お遊びのためなら体力無尽蔵なリツカとナナミはさておき、梅雨明けの空の下、朝から延々とトラだのサムライだのを倒し続けているシーナ、アスフェル、ルックはさすがに疲れ果てており、我関せずといった涼しい面持ちのクライブでさえもよく見ると眉間に皺が寄っていた。


「じゃあね、じゃあね、あと一回! あと一回だけ戦ったら今日はやめるから〜!」
シーナに「ランランとか見た目女の子じゃん、俺にこれ以上か弱い女の子たちを斬れってのか!?」と詰め寄られ、渋々頷いたリツカがそれでもまだ粘っている。
ルックはぐったりとロッドに凭れていた。
かさりと背後に気配がして、アスフェルとルックは咄嗟に魔法を放った。
風と闇が折り重なって薄暗い木立の奥に突き刺さる。
ひぃっ、と声がしてランランとテンテンが地に沈んだ。
「ちょっとリツカ! 何ぼさっとしてんのさ!」
疲れても声だけは澄んでいるルックがリツカを叱咤し、三匹セットで出現する敵の、残り一匹を探した。
屠った敵の死臭で気配が掴みづらい。
クライブが威嚇射撃を行うも、仲間二匹の死に恐れをなしたのかリンリンは出てこなかった。
ここは他のモンスターが集まってくる前に退散すべきであろう。
「リツカ、そろそろ野営できる場所を探さないと」
どんな時でも優しいアスフェルにそっと促され、ほだされたリツカは素直に回れ右をした。
「あっちに原っぱがあったから、そこでいいよね」
ふにゃんと弛んだ笑顔でリツカが西を指差して飛び跳ねる。
その時。
リツカ目掛けて何かが飛び込んできた。


頭をトンファーで覆ってしゃがんだリツカが次に見たものは。
リツカを庇って腹を抉られたルックと、捨て身の体当たりを仕掛けたリンリンに棍で止めを刺したアスフェルの険しい瞳だった。





回復魔法が使えるのはルックとリツカだけで、二人とも使い切ってしまっていた。
ナナミが持っていた竜印香炉で少しずつ治癒できるものの、今夜は動かさない方がいいことに違いない。
歩けないルックを暗黙の了解でアスフェルが両腕に抱きかかえ、手頃な野原に移動して火を焚いた。
「ルック、ごめんね〜」
泣きべそをかきながらルック、と、アスフェル大魔神、に謝るリツカを水汲みに行かせ、クライブが隠し持っていたおくすりでだいぶ傷が癒えたルックは、ルックを地面に下ろしても離れないアスフェルに辟易していた。
「何であんなことしたの」
穏やかな口調ではあるが、アスフェルの目はしっかり怒っている。
「分かってると思うけど僕の役目は天魁星を守ることだよ。あんたの時だってそうしたじゃないか」
「他にやりようがあるだろう」
「あんたがその華麗な棍捌きでさっさと倒さないからじゃない。致命傷じゃなかったんだし、寝たら治るから放っといてよ」
目を細めたアスフェルは、ずいぶん機嫌を損ねているのがありありと分かる。
被害の及ばぬよう大木の陰へ避難していたクライブは、同じく食器を洗う振りをして逃げてきたシーナと二人ではらはらしていた。
「でも今は痛いだろう?」
「怪我してんだから当たり前でしょ、あんた頭悪くなったんじゃない? 傷に響くから喋らせないでよね」
「今敵が来たらどうするの、痛くて動けなかったら」
「お生憎様、それでも僕は飛び出すから嫌ならその前にあんたが倒せば?」
「……」
むかむかしてきたルックがぞんざいに言い放つと、アスフェルは暫時ルックを凝視していたがふいに視線を逸らして森の奥に行ってしまった。
行き先を聞きもせず、ルックは早々に体を丸めて横たわる。
「アスフェルが拗ねるなど、前はあり得なかったな……」
「ルックよぅ、アスフェルがあんなに心配すんのってお前だけだぜ、なのにそれはないんじゃないの」
「……知らない」
クライブとシーナの諫言はスルーして、ルックは不貞寝を決め込んだ。





アスフェルはなかなか戻ってこず、他五名はリツカの汲んできた水で簡単な食事を済ませて各々眠りについた。
今日の不始末にと火の番を申し出たリツカが、傷が疼いて眠れないルックにお湯を沸かして差し出した。
「ルック、ほんとにごめんね。つい油断しちゃって……」
「別にたいしたことじゃないよ」
「わかってたつもりなんだけどさ。いつもは責任持たなきゃって思ってるんだけど、今日は、その……、みんなしっかりしてるからぼくのためでなんか死なないと思ってたんだよね。みんなぼくよりずっと強いし。だから……」
「気が緩んでた?」
「うん。でも反省した。ほんっとーに、ごめんなさい」
「当然のことをしたまでだよ。師の命令だから」
「んー……。何てゆうか、ルックは、そうゆうの良くないと思うんだけど……」
しばし二人で黙りこくってお湯を飲んで、傷を温めた。
モンスターの気配はないが、今宵は森がやけに騒がしい。
時折通る風もどことなく重く、ルックは夜空を見回しながらお湯に息を吹きかけて冷ました。





ソウルイーターのにおいがきつく薫ったので顔を上げると、木々の間からアスフェルが姿を現すところだった。
ルックの言動に相当腹を立てていたはずの彼は、今は飄々と左手を揚げて歩み寄ってくる。
暗くてよく見えないがアスフェルは全身をひどく汚し、獣の匂いを撒き散らしていた。
一言で表すと嫌な雰囲気になっている。
いつもは穏やかに凪ぐ瞳に退廃的な翳りが垣間見え、鈍い闇がルックを居たたまれない気分にさせた。
近付いてくるアスフェルに何を言えばいいか考えあぐねてしまい、思い付かないまま別に自分が悪いわけじゃないと開き直って、ルックはアスフェルを睨み付けることにする。
「もう一時間経ってるんだけど。何やってんのさ」
「ただいま」
すると、先刻まで隣でうとうとしていたリツカが急にしゃっきりと飛び上がった。
「アスフェルさん! どこ行ってたんですか? 危ないじゃないですか!」
「大丈夫。お待たせ」
聞くものを魅了する声が完璧なテノールで優しくリツカの耳を撫で、いともあっさり篭絡されたリツカはいそいそとルックとの間に場所を空けた。
アスフェルはルックの左隣に胡坐をかく。
灯りに照らされたいっそ清々しいまでの笑顔を浮かべるアスフェルを見遣り、ルックは唖然と口を開けてしまった。
「……あんた、それ返り血? 何してきたの」
問わずともその姿から予測できたが、あまりの馬鹿さ加減に呆れ果ててため息が出る。
「何って、魔物退治? とりあえずここら辺は一掃しといた」
これでルックが安心して眠れるねと極上の微笑みでアスフェルが応え、周囲はぱあっと花が咲いたように光り輝いた。
こんな会心の笑みは久しぶりだと、ルックは目を眇める。
最近は折角三年ぶりに再会できたのに喧嘩ばかりしていたと振り返り、怒った顔もそれなりに整っているがやはり笑う方が似合う、とどうでもいいことを考えてふつりとさっきまでの気勢が削がれた。
「あっそ……。お疲れさま……」
「何のこれしき。簡単なことなのにね、ルックの血に動転して気付かなかったよ」
「あんた……昔の方が思慮深かったよね……」
「今の方が素直になったって言って欲しいなあ」
予想以上の盲目ぶりを発揮する豪傑に、ようやく事の次第を理解したリツカが驚いてアスフェルの左腕を掴み、どこにも掠り傷すらないのを見てぞっとした顔をした。
「アスフェルさんって……最強ってゆうかもう最凶ですね……」
「今日は火の番もいらないんじゃない? リツカも寝たらいいよ」
「はぁ……どうもありがとうございます……」
それでもアスフェルへの憧憬は弱まらないらしく、やっぱアスフェルさんかっこよすぎです、と言い残してリツカはぱたんと眠りに落ちてしまった。


「ルックもおいで、地面は固いから身体に障るだろう」
手早く寝床を整えたアスフェルが地に伸ばした二の腕を指差し、とびっきりの笑顔でルックを見つめた。
腕枕?
ちょっと前シーナに習った単語を眼前にして、総身を水で拭われたアスフェルの瞳がまだ嫌な影を落としていることを見て取る。
今日だけは妥協しようとルックは目を伏せた。
そっと口端を緩めてアスフェルの左に体を収めると、すぐぬくぬくした温かみに包まれた。
「ちょっと、暑いんだけど」
「ルックが心配なんだよ。いらぬお節介なのは分かっているけど」
耳元にテノールが囁く。
「それでも、ルックのことが心配なんだ」
小さく漏れた声が、風に攫われて消えた。
額にくっ付いたアスフェルの喉が、忙しく脈打っている。
目線だけ動かして捉えた肩先が、今日に限って小さく見えた。
こんな仕草をする男だったか?
ルックの心に波紋が広がって落ち着かない気持ちになり、寝て忘れてしまおうとルックはアスフェルの胴着を握り締めてぎゅっと目を閉じた。
呼応するようにぎゅっと全身を締められて、アスフェルの匂いが彼の胸元に埋もれた鼻先へ届く。
甘いとか苦いとかではなく、例えるなら穏やかにくるまれた毛布の匂いで、ルックは長く感じていたくないと息ができなくなることを願った。
慣れてしまったら、離せなくなると思った。
早く眠りに落ちたいと体を硬くして、結局なかなか眠れなかった。


眠るまでずっと、温かかった。





翌朝、やたら上機嫌なのはアスフェルのみで、一匹もモンスターの出ない峠にアスフェルの嫉妬を見て取った他のメンバーは、こいつだけは敵に回すべきでないと心底戦慄したという。
ちなみにルックの怪我は朝になるとすっかり治っていて、これもどうやらアスフェルがモンスターから巻き上げた回復アイテム「サンドイッチ」の効力のようであった。







坊様はアホなんだと思います…。
そしてルックはほだされすぎてると思います…。
これっぽっちもシリアスじゃないつもりなのでどうぞ笑って下さい。

20051018