憧れの英雄





ぼくがその名を初めて聞いたのは三年前、ジョウイの裏返った声でだった。
興奮しながら道場に飛び込んできて、ぼくの肩を掴むなり「すごいぞ、革命だ!」と叫んだジョウイのテンションがあまりに普段の彼からかけ離れていて、ぼくはナナミと二人してけらけら笑ったんだった。
ジョウイが言うんだからすごいひとなんだろう。
トランの英雄、アスフェル=マクドールのことを、ぼくはそんな風に思っていた。





次に聞いたのは、ビクトールとフリックの旧知だというアップルから。
傭兵の砦へ王国軍が攻めてくるという非常時にも関わらず和んだ雰囲気で再会を喜ぶ三人に、昔から友達なんですか?と尋ねたところ、心なしか沈んだ顔で教えてくれたのだった。
ビクトールもフリックもアップルも、三年前の解放戦争でアスフェル=マクドールの下に集った同志なのだと。
アップルはその戦争で敬愛する恩師を亡くし、アスフェル=マクドールを恨んだこともあったと言った。
「でも、彼はどんなに困難なことでもやり遂げてみせるのよ、絶対に」
憂えた表情を見せたのは、今は行方知れずだというアスフェル=マクドールを思いやってのようだ。
そんなにすごいなら何で大統領にならなかったんだろう。
とても偉いひとなんだと思った。





ニューリーフ学院へ潜入することになり、フィッチャーに偽名を考えるよう言われて咄嗟にアスフェルと答えたのは、やはりその存在が心に引っかかり続けていたからだろう。
隣でひゅっとかすかに息を飲む音が聞こえて、いつも無表情なルックが珍しく顔色を変えたのに気付いた。
そういえば、ルックも解放戦争に加わっていたんだった。
ルックはそのまま一瞬目を見開いたものの、すぐに表情を戻して偽造書類へアスフェルと書き込んだ。
さらさらと動くルックの手付きは綴りを書き慣れているように感じられる。
フリックがそんなルックを慈しむような哀れむような目で見ていて、ルックとアスフェル=マクドールの間に何があったのか、ぼくは無性に気になった。
ルックにこんな顔をさせるなんて、只者ではないに違いない。
よっぽどすごいひとなんだろうと、勝手に想像を膨らませた。


その夜あてがわれた学生用の宿舎で、ぼくはなかなか寝付けなかった。
グリンヒル市長代行テレーズの所在は杳として知れず、受付のエレノア女史が味方についてくれたものの引率者のフリックがニナに追い回されて役に立たない。
こうしてる間にも王国軍が……と、焦りがぼくを苛立たせていた。
しんとした部屋にチャコたちの寝息が響く。
目を瞑ったがいつまで経っても睡魔は一向に訪れず、息苦しくて寝返りを打とうとすると、先に隣のベッドでごそりと音が聞こえた。
ルックも寝付けないのだろうか。
「……眠れないの?」
ひっそり尋ねてみれば、ややして細身の上体が起こされた。
「ちょっと、風に当たってくる」
「ぼ、ぼくも!」
置き去りにされそうで慌ててルックの袖を引っ掴むと、ルックはわずかに眉を寄せたものの、唇に立てた人差し指を当てて早くしなよと待ってくれた。


こっそり宿舎の外にでて、大きな木の根元に二人座り込んだ。
芽吹いたばかりの若葉のいい匂いがして、両足をひんやりする芝生に伸ばしたら手前にたんぽぽの蕾を見つけて、明日には咲くだろうその綻びにぼくはいくらか焦燥が治まった。
雲間にちらちらと星が瞬いている。
「あのさ、ルック、聞いていい?」
「何?」
「アスフェル=マクドールって、どんなひと?」
ぼんやりと風に吹かれていたルックに問いかけると、ルックはやっぱり一拍置いて、そっと目を伏せた。
「すごいひとだったんでしょ?」
変化を見逃すまいとルックを下から覗き込んで聞いてみる。
ルックは夜空に目を移して、遠い記憶を懐かしむように目を揺らがせた。
「別に、あいつはそんなに凄くないよ」
「革命を起こしたんでしょ? ぼくと同じくらいの歳だったのに、ビクトールとかシュウの先生とか、大人がみんな従ったって。すごい強くて欲がなくて、かりすまだったんでしょ?」
「……カリスマね……あんた、意味わかってんの?」
「ジョウイが昔、英雄のことをかりすまって教えてくれたよ」
「……」
ルックはぼくの発言に嘆息して首を振った。
ぼくの教養のなさにルックみたいな賢い人は嫌気がさすのだろうか。
ばかでごめんね、と言おうと思ったらルックに先を越された。
「カリスマ的存在がいつも英雄になるわけじゃない。あいつはカリスマを演じてただけだよ。あんたはそのままでいい」
いつもは皮肉げに歪む唇が、今は優しく弧を描いている。
察するにルックはぼくが無学だから呆れたのではなく、カリスマという言葉が気に障っただけのようだった。
ルックの口ぶりからすると、カリスマというのは日常を超越した天与の資質のことなのだろう。
しかしカリスマの定義がどうであろうと、それを演じてしまえるアスフェル=マクドールがすごいことに変わりはないのではないか。
「アスフェル=マクドールは何でリーダーになれたの? すごかったからじゃないの?」
「あいつはあいつで、あんたはあんただよ。あいつみたいになりたいの?」
「だって……ぼくはひとりじゃ何にもできない。誰かに助けてもらって、教えてもらって、手伝ってもらって、偶然と奇跡が連鎖して、それでようやくトゥーリバーを守れただけだ」
ゲンカクじいちゃんも、昔この輝く盾の紋章を宿して英雄と呼ばれていたそうだ。
ゲンカクじいちゃんは強くて厳しくて朗らかで、ぼくはゲンカクじいちゃんが大好きでとても大事だった。
ゲンカクじいちゃんが守ったっていうこの都市同盟を、もしぼくが守れるのなら、ぼくも英雄にならなきゃいけないんじゃないだろうか。
ぼくと同じ若さで赤月帝国を倒したアスフェル=マクドールのように。
でもぼくは、普通の子供だ。
テレーズのように、判断を誤ってみんなを苦しめるかも知れないのだ。
「リツカ。あんただから皆手を貸すんだよ」
たじろぐぼくに再び嘆息したルックが、風に言葉を乗せるみたいな繊細さで呟いた。
「あんたは、あいつよりもずっとしっかりしてる。自分で考えて正しいと思うことをやればいい」
ルックの瞳が、辛そうにひそめられた。
淡々と言葉を紡ぐその口元が、悲しい過去に戦慄いたように見えた。
「あいつは頭が回りすぎた。だから親も殺せた。仇も仲間に引き入れた。あいつは軍のためにどう動くべきか、信念を貫くとはどういうことか分かりすぎていたんだ」
ルックがこんなにも誰かを気遣う表情を示すのは、初めてだ。
夜闇ではっきり見えないけれど、ルックは彼がかつて傷ついたことに今でも傷ついているようだった。
ニナのようなアイリのようなヨシノのような、不思議な色の瞳をしている。
あのルックが、毒舌ばかりで他人のことなど歯牙にもかけないルックが、ここまで心を割くアスフェル=マクドールとはどんなひとだろう。
やはり尋常でなくすごいことに変わりはない、と思った。


気付いたらアスフェル=マクドールのことは有耶無耶にされていて、それでもルックと話を続けたくてジョウイのことやキャロの街のこと、ゲンカクじいちゃんのことなどを話題にした。
ルックは、相変わらず棘のある口調とはいえぼくの話をひとつひとつきちんと聞いてくれた。
ぼくがようやく笑えるようになった頃、ルックがびっくりするくらい綺麗に微笑んだと思ったらぼくは急に眠くなって、眠りの風に包まれたことを悟る間もなく目を閉じてしまった。
溶けそうなくらい優しい風に、夢も見ないで熟睡した。
明日から、またぼくらしく頑張れる気がした。





ルックに面と向かって励ましてもらったのはあれが最初で、おかげでぼくは無理して背伸びしなくなった。
それでも、ルックの心に巣食っている英雄を羨望することに変わりはなかったんだ。
バナーの村で偶然出会うまで、ぼくはずっとアスフェル=マクドールに憧憬しながら対抗意識を燃やしていた。


アスフェルさんにはなれないけど、ぼくはぼくらしくやるよ。
みんな、一緒に頑張ろうね!







学生ルックが書きたい一心で!リツカ編でした。
…学生してねぇよorz
端から見てもバカップル計画だったのになぁ…。
ルックったら天魁星甘やかしすぎだよ…。

20051003