襲いかかるクレイブマスターの刃を棍で弾き返すアスフェル。その隣、がきんと嫌な音を立て、ジャッカルの突撃を受け止めたシーナのレイピアが刃こぼれする。
 シーナは敵から目を逸らさずに片眉だけを器用に顰めた。レイピアの破片が掠めたか、頬へ血の粒が丸く浮く。しかし拭う余裕はない。シーナはレイピアを両手で握り、脇腹へ抱えるように構える。腹に息を溜める。間合いを計る。
 敵の足元が揺れた瞬間、シーナは裂帛の気合とともに渾身の力で飛びこんだ。狙いは敵の心臓だ。正中を過たずまっすぐ串刺す。ずんと重みがレイピアへ加わる。シーナはまだ息のあるモンスターを蹴り飛ばすように飛び退り、ちらと刀身へ目を遣った。仕留めたかったがもう根元から折れそうだ。
 敵は十体、こちらは三名。とはいえ実質刃を交えているのはシーナとアスフェルの二人である。これはかなり分が悪い。
「っつーーーか、ちったぁ手伝え! ルック!」
 柄でモンスターの牙を危うく退けながら、シーナは背後を見ずに叫んだ。
「……やってるじゃない」
 不貞腐れた声とともにシーナの頬から傷が消える。
 が、一瞬の隙を突かれ、シーナは敵の体当たりを鳩尾へまともに食らった。たまらず吹っ飛ぶ。背中からごろんと倒れ込む。
「……っ、おえ」
 霞む視界で見上げると、切り株へ腰かけ優雅に香炉をくゆらす魔法使いと目が合った。手伝えっつってんだろ、と言いたかったのに内蔵が軋んで変な声しか出てこない。シーナは代わりに顎でモンスターを指し示す。
 香炉の煙を手のひらで扇いでシーナの方に流しつつ、ちらりと横目をくれたルックは、さも大げさに肩を竦めた。
「すっこんでろって言ったり手伝えって言ったり……ほんと、あんたたちって身勝手だね」
「そ、ゆ、状、況、かこれがげほっ」
「自分が弱いのを人のせいにしないでくれる? 特にあんたときたら剣技も魔法も中途半端、遊学だか遊楽だか知らないけど興味本位にいろんなものへごちゃごちゃ手を出した挙句どれもこれも未完成に終わる人生送ってて死ぬ間際に虚しくないわけ」
 この状況でいつもの毒舌を容赦なく放つルックである。痛む背中を擦るのも止めてシーナはうんざり両耳を塞ぐ。
「ルック」
 だがようやく、柔らかな声が遮ってくれた。
「風の魔法を頼めるか」
 シーナが転倒している間に一人で二体を片づけたらしい。腕に傷を作ったアスフェルが疲れを見せない表情で残る八体を相手にしている。
「軍主命令なら、仕方がないね」
 ルックは香炉を脇へ置き、ようやくゆったり立ち上がった。
 するとにわかに草木がざわめく。低い唸りが聞こえ始める。びゅうと煽られたすすきの花穂が乾いた鈴のような音を立てる。
 それは、風。風が動き出したのだ。
 シーナは生唾を飲みこんだ。
 無秩序に吹いていると思えた風が、ある一定の目的をもってルックの元へ集いつつあるのを肌で感じる。徐々に風の形が視認できるようになる。風が明確な強い意志に纏め上げられているのだ。こんな魔力、見たことがない。ルックの真横へ転がっていたシーナはあまりの砂埃にだんだん目を開けていられなくなり、よろけながらどうにか立った。風の音がいよいよ増す。細かい砂がちりちりと腕や顔に絶えずぶつかる。
「真なる風の紋章よ……、思う存分、暴れておいで。――あらし!」
 途端、轟然と風が巻き上がった。
 敵が一瞬で切り刻まれて塵になる。血飛沫の飛ぶ暇もない。末期の鳴き声が後追いし、それさえ風に押し流される。布を裂くような鋭い風音が縦横無尽に野を駆ける。
 烈風は側にいたシーナにもどっと押し寄せた。あまりの風圧に息さえ継げず、シーナは思わずたたらを踏んだ。両腕を交差させて自らを庇うも風に伸されて上体が反る。閉ざした瞼に砂埃が当たる。シーナは必死で歯を食いしばり、我が身の防御に専念した。
 そうして、どれくらいの間ひたすら堪えていただろう。唐突にぴたりと風が凪ぎ、反動でシーナは前に数歩つんのめった。と、足元に聞きなれた金属音。自分のレイピアを踏んづけたのだ。その音でほっと息を吐き、シーナはようやく我に返る。ぎこちなく頭を左右に振って目の霞みを追い出すと、改めて周囲を見回した。
 そのあまりの光景に、息を飲む。
「魔法……なのか……?」
 破片にまで砕けたモンスター。空気をそっくり入れ替えたように冷たく残る余波の風。飛ばされたすすきの穂がまだ上空で渦巻く風に揉まれている。
 これは、魔法として人間が制御し得る範囲をとうに超えているのではないか?
 ルックはけろりと何事もなかったような顔をしてブーツの紐を締め直している。風に乱された髪が一房、静かに耳元から滑り落ちる。シーナは今さら真の紋章に震撼した。この威力が単なる魔力差だけではないことを悟ったのだ。せめて、ルックが汗のひとつでも掻いていたなら、ここまで恐怖しないものを。
 昂った神経でシーナがぎこちなく窺えば、さすがのアスフェルも呆然と、粉々に刻まれた敵の残骸が散らばる地面を見下ろしていた。
「……助かった」
「助けたわけじゃないよ。あんたの命令に従っただけ。レックナート様の言いつけだからね」
 アスフェルの小さな呟きへ、ルックが小生意気に言い返す。アスフェルはちょっと目を瞠り、次には穏やかな微笑を浮かべた。棍についた血糊を振り払いながらルックの方へ歩み寄る。だが痩せぎすの肩へ乗せた手はルックがすぐに払い落とした。
「ありがとう、ルック。ルックの魔法がなかったら俺たちは全滅していたかもしれない」
「よく言うよ。こういう時のために僕を温存しといたんでしょ」
「前衛で敵を殴りたかったのか? ロッドもないのに?」
 アスフェルへ指摘された手ぶらのルックがあからさまに言葉に詰まった。ルックはただでさえ打撃に向かないロッドを装備していない、どころか、スピードリングを申し訳程度に指へ嵌めているきりなのだ。敵の攻撃を一撃でも食らえばおしまいである。
 アスフェルはバンダナをむしり取って頭を掻いた。黒髪がやや湿っている。落ちているシーナのレイピアを拾い上げ、ひびの程度を確認しながら、アスフェルは思い出したように苦笑した。
「というより、ルック、俺は味方を回復してもらいたかったんだよ」
「――え?」
 ルックがきょとんと目を丸くした。
「……いやしの風を使えってことだったの? 風の魔法って言うからてっきり」
「ルックでも俺の命を読み違えることがあるんだな」
「ちょ、僕のせい!? あんたが曖昧な言い方するから悪いんじゃない!」
「竜印香炉役はそんなに嫌だったか」
「笑いながらそういう質問を平気でしてくるあんたがすごくイヤ」
 ルックはつんとそっぽを向いた。毒気を抜かれてシーナは思わず笑ってしまう。アスフェルからレイピアを受け取り、鞘に収めると、破壊の痕跡生々しい地面をいつまでも見るのは止めにした。使い手が使い道を間違わなければ、この破壊力は非常に心強いではないか。
「な、次は逃げようぜ、アスフェル」
 だがやはり三人きりで戦うのは無謀だと、シーナはアスフェルの背中を小突いて囁いた。アスフェルは苦笑し、ルックの脇へ捨て置かれている竜印香炉を屈んで拾う。
 ルックがテレポートを使えることを知ったのは、テレポートの暴走により突然飛ばされたカレッカからトラン湖城まで徒歩で戻ってからだった。







本当に、ほんっとーうに、久しぶりすぎる小話更新。
何を書きたかったかと言うと、ずばり「かっこいいルック」だったのでした。
なので萌えもクソもないわけですが…。
シーナには呆然として見えた坊も実はルックに惚れ直してる最中、だったらいいなってことで本作の坊ルクっぷりをアピールしてみたいと思います。

20090318