夜長のしじま





 小さな呻き声がした。
 アスフェルは首だけ左に倒す。同じベッドの中へいるのに部屋が暗いため何も見えない。手探りで触れて起こしてしまうのは忍びなく、目が暗闇に慣れるまで、拳を握って寝息の延長にも聞こえる呻きを噛み締める。
 もつれた猫毛が見えてきた。布団から覗く肩、肩甲骨。暗闇に溶け込むその輪郭がわずかに上下して見える。
「ルック……泣いて……?」
 心臓を掴まれるような焦りを覚え、アスフェルは飛び起きるや背を向けているルックの体を跨ぐようにして下腕を突いた。覗き込む。
「ルック!?」
 返答はない。この暗さでは、いくら覗いてもルックの涙まで見えそうにない。
 けれどルックが暗がりを揺らして首を振る。ルックはこういうとき決まって白々しい嘘を吐く。アスフェルはたまらず手を伸ばす。
「痛ッ」
「え? ――ああ、ごめん」
「爪立てたでしょ」
「ごめん。すまない」
 アスフェルの指は頬を逸れてルックの唇へ当たったようだ。かつんと衝撃を指先に感じた。前歯だろうか。
 そして抗議するルックの声は、涙に濡れていなかった。
「……泣いてないよ……」
 かり、と指先をやわく噛まれる。小さな震えが指先に伝わる。手の甲に何かを重ねられる。
「嫌な夢を、見た。だけ」
 消え入りそうな余韻の語尾に、夢の内容は言いたくないのだと思った。言えば、曖昧だった夢の内容を言語で定着させることになるからだ。だが推察は難くない。顎を震わせるほど恐ろしいものだったのだろう、おそらく、灰色に閉ざされた未来。
 アスフェルに共感はできなかった。何せ同じものを見たことがないのだ。アスフェルが見るのはすべてがない交ぜになった終末、すべてがぐらぐらと煮え立つ混沌。それも曖昧にぼやけた夢で目覚めとともに消えてしまうから、眠れないほど苦しむルックを理解してやることができない。
 それでも、少しでもルックの恐怖を緩和させたいと望む己は傲慢か。
 右腕はそのまま、起こしていた上体をベッドへ沈めると、ルックの脇腹の下に左腕を差し入れる。その左腕へ力を込めてルックの背中を引き寄せる。風呂敷で包み込むように背後からすっぽり抱きすくめたら、少しずつ嗅ぎ慣れてきたルックの甘い体臭が柔らかくアスフェルの肺を満たした。旋毛に鼻先をくすぐられる。
 暗がりに紛れる胸中のルックは、咽喉を仰け反らせてアスフェルを睨んだようだった。
「あんた、何で笑ってるの」
「不謹慎でも……嬉しいんだ」
 ルックが夢に怯えているならすぐに背中を抱き締められる。眠れないのなら朝までこうして。夜のしじまが心細いなら夜じゅう取り留めのない話をしよう。夢を忘れてしまいたいならすべてを快感で埋め尽くしてでも。
 アスフェルは今、ルックの苦痛を和らげることができるのだ。そばにいるから。ともに歩ませてもらっているから。
「……よくもそんな恥ずかしいことが素面ですらすら出てくるね」
 思いの丈を語ったつもりが一蹴された。
 が、ルックはこういう嘘は不得手だ。視覚が利かないおかげで耳が冴え、ルックの声色を聞き取りやすいのも幸いした。きっと表情は険しく作っているだろうから。
「嬉しいならそう言えないか? 言えないな、ルックは」
「うっ嬉しくなんかっ」
「俺も面と向かって言われると多少持て余すだろうから……だから、俺にはルックがちょうど良いんだよ」
「何それ、人を服のサイズみたいに」
「なら直接的に表現しようか? ルック以外は愛せない理由がはっきりしたって」
「……面と向かってそういうの、僕も持て余すんだけど」
「ルックはこれが嬉しいんだろう?」
「うっ嬉しくなんかっ」
「その反応、堂々巡りだよ」
 寝入り端にはうるさかった虫の音もいつの間にか止んでいた。むくれたルックが口を噤むと、気の早い落ち葉が茶けた芝生の上に降る、ぱさりと小さな落下の音が窓の隙間から聞こえた気がした。
 夏が終わると夜はこうも静かになる。夏、ルックが破壊者だった夏は、徐々に深まる秋へ薄められてゆく。
 黙り込んだルックを抱き締めながら、アスフェルは些細な発見に静かな充足を味わった。ルックが自分を「人」だと言った。たとえ戯れに交わされた口論の内であったとしても、ごく自然にルックの口を衝いて出たのだ。秋に薄められたのは数ヶ月前までびっしり根を張っていたルックの自己卑下でもあるらしい。あるいはルックの自己否定。
「……治まったな」
「何が?」
「震え」
「……うん……」
 アスフェルは後ろからルックの肩口をさすった。とん、とん、と軽く叩く。
 悪夢も悲しい過去への懺悔も今だけ追い払えるように。払えなくともたった独りで相対することのないように。
 なし崩しにあやされる歯痒さへ、ルックは寝たふりを決め込むことで折り合いをつけたようだった。







カウンタ55000打にいただいたキリリクが「改変後の坊ルク」ということで、3改変シリーズの数ヶ月後を書いてみました。
もっと軽いノリにしようと思ってた当初の目論見は見事に外れてしまいましたが、これはこれで3後らしいのかなぁと思ったりもしています。
リクエストくださったゆりさま、どうもありがとうございました!
もっとラブいのとかもっとエロいのとかシリアスなのとか、ご要望ございましたら書き直しますのでお気軽におっしゃってくださいね。

20090819