チョコの付いていないところをつまみ、タクトのようにちくたくと振る。蝶ネクタイ、または無限を表す記号。単に楕円や弧を描いているような節もある。どうも規則的ではなく、時に留まり翻るさまが気紛れだ。
そして折にふれ、ちゅ、と先っぽへ唇を当てる。舐めることもあるが、たいていはただひんやりした感触をその柔らかい朱へあてがうだけでふいと素っ気なく離してしまう。
本に没頭している時の、言うなれば癖の一つだろうか。他にもペンや栞などを丹唇の先でもてあそぶ。軽く食んでみたり、息を吹きかけていたり、本人はほとんどまったく自覚がないのだという。意外なところで行儀が悪く、無意識だからこそ始末が悪い。
――と、前歯を立てて小さく、かり。
「何じろじろ見てんの?」
「……かわいい食べ方をすると思って」
ちょっとずつちょっとずつ、半分くらいまでポッキーを噛み進んだルックが言うのへ、アスフェルはどうにも整えきれない笑みを返した。
こんなに晴れた暖かい晩冬、それも祝日の真っ昼間なのに、不毛にもずっとヒーターの効いた部屋の中。ルックは以前から興味があったというマクドール家の蔵書である太宰なんぞを読み進めていて、隣でずっと頬杖突いてる恋人のことはかれこれ二時間以上も蚊帳の外である。
……それで充分、いいんだけれど。ただ傍らにいられれば。
つい甘やかしてしまうのは偏にアスフェルの悪癖だ。もう少し社交性を持たせてだのとお節介な友人に唆されてややその気になったりもしたが、こうして寛ぐルックを前に、友の助言など何の支えになるというのか。
ちょっぴり不健康でかけがえのない安息。泣きたくなるくらいゆるやかに滞る秒針。
「あとさっきから奇妙に浮わついた顔してるけど、アスフェル? 何を企んだらそう弛むわけ?」
「――ポッキーにジャムを塗って食べると美味しいらしいよ。やってみようか」
「すぐに逸らすし。しかもそれ、ニュースソースは」
「信頼していいよ、女の子からじゃないから」
「……一本だけやってみる」
いつもなら微々たる量しか見せてくれない、アスフェルへ向かう気持ちの片鱗が、ほんの一刹那くっきりと輪郭を表しまた消える。ページを捲る右手の指が今だけ止まり、活字を追ってやまない目線が今だけこちらへ振れる瞬間。まるで落ちようとする椿の雄蕊、ぎゅうっと胸へ詰まるものがある。
彼の注意を逃さないよう大げさな身振りで席を立てば案の定、ルックの顎がこちらの動作に併せてついと上向いた。実はキキョウが買ってきて、と種を明かしつつ棚の奥からラズベリージャムを取り出して、ルックの隣、ほとんど減らないグラスの縁に刺さったままの八つ切りレモンを勝手に拝借。ジャムをこんもり指でよそうとルックの目前へ差し出してやる。
――ああ、ルックはレモンよりミルクティーが好きなんだ。まさにたった今、気がついた。
「どうぞ、ルック」
「あんたキキョウといっつもこんなことやってんの?」
「野球もテニスも将棋もグレッグの散歩も終わった後にね」
「ふぅん。……意外」
またしても瞬時、翡翠を横切るルックの愛情。アスフェルでなければ見分けられないささやかすぎる色を本当にそう呼んでいいものか、少し迷いはあるけれど。アスフェルの返す柔らかい笑みの方は充分信じてもらいたい。
ルックは半分になったポッキーの先でジャムを爪の欠片ぐらい掬った。恐る恐る、初めて餌を与えられた子リスのように、ポッキーへ鼻を寄せる仕草が不相応にいとけない。
やがて決心したのか大きめに一口、といってもアスフェルよりはずっと小さめの一口。ぽきんと華やいだ音が鳴る。つぶつぶした食感と酸味の強い甘さがチョコレートに合っただろうか。アスフェルはルックを注視する。
「もっとたくさん食べていいよ」
目が瞠られて口許が緩む、それだけで彼の感想は雄弁に示されたも同然だ。ルックが掬いやすいようレモンの角度を微妙に変えればすかさず突き刺さるポッキーの先端。ごそっと塊を乗っけて勢いよく口へ運ぶルックが、今度はほんのり眦を綻ばす。
「このジャム、どこで買ったの?」
「企業秘密」
「何それ」
「じゃないと、俺が買ってくるのとルックが自分で買うのとで、食べきれない量になるだろう」
「また屁理屈ばっかり。疚しいことでもあるんじゃないの」
ルックはこうやって、アスフェルを試したがる時がある。毒舌に潜むルックの本音か、不安に揺れる深層心理か。
「まさか。俺が買いたいんだよ、ルックのために。スコーンもついでに焼いておこうか?」
「……いつ」
意地っぱりだ。ぷい、と尖らせた唇が一刻も早く次の約束を紡ぎたがっているくせに。
「今、すぐにでもだよ。ルック」
もちろんルックはそのままでいいのだけれど。
と、アスフェルが甘やかすからいつまで経ってもこんなに幼く見えるのだろうか。アスフェルの前でだけ、もうつきあって三年目なのに最初の頃から変わらない、翡翠の裏に笑顔が透けるこんな表情。繊細にあどけなくて、ほんの少し寂寥が混ざって、ただがむしゃらに抱きしめたくなる幸い薄げな微笑みだ。
抱き寄せたい。
思わず息を飲み込んだ。ぎくしゃくと元の椅子へ腰を落ち着ける。まだ昼間。ルックは読書中。むず痒い手の疼きを今しばらくは堪えねばならない。
「とはいえジャムばかり食べすぎると体によくないから、毎日少しずつにしよう。――ルック、毎日うちへおいで」
毎、日。何て魅惑的な響き。自分で言っておきながら、想像すると歓喜に両目が細まってしまう。
人差し指と中指を使いレモンへジャムを追加してやる。スプーンを使いなさいとグレミオが叱るだろうか。こんな五百円玉サイズの食べさしぐらい、ルックにかかれば今日にも空にしそうなのに。
ルックはジャムをじっと見つめた。そして、アスフェルの瞳を見つめる。
何となく言いたいことは分かる、かもしれない。ルック、任せて。毎日誘おう。ジャムやスコーンや、きちんと淹れたミルクティー、太宰治全集、たくさんの口実を隠れ蓑にして、毎日一緒にいられるように。――だろう?
指にべっとり付いたラズベリージャムを、アスフェルは行儀が悪いと知りつつ舌で舐め取った。きんと酸っぱく後から甘い。
「毎日は飽きるか?」
「っか……考えと、く!」
爪の間に挟まったジャムを舌で吸いつつ戯れに問うた。すると突然、裏返りそうな声でルックがぱっと顔を背ける。
何がルックをそうさせたのか。答えは推測だけなら一つ、試してみるまで分からない。短くなったポッキーを持つルックの指が正答で取り落とさないようそっと支えて、八つ切りレモンはジャムの蓋の上へ乗せてしまって。
ラズベリーに潤む唇、金茶の髪を掻き寄せて、優しく優しくいただいた。