呼びかける声





山?


青々とした、力強い鼓動の息吹。
天を仰ぎ、大地を俯瞰する羽音。

瑞枝あふれる渦を巻き、なだらかな奔流は木々を包んで飛翔する。

凛、とした冷たさ。
それでいて峻烈、みなぎるちからを両翼に。

桜に霞み、灼熱の海へ、紅葉が舞い、泥濘を雪ぎ。


翡翠閃く、――










目が覚めた。
喜びというには激しさに富み、また孤独に過ぎる夢を見た。
客室に窓がひとつもない。息苦しさはこれのせいか。
身を横たえたまま眼球だけをぐるり四方へ巡らせる。足元はドア、枕元にキャンドル。壁は四面とも当たり障りのない黄土色で、床にはカーペットのような布が染みも落とさず敷きっぱなし。幾度見回せどベッドのほかはサイドボードしかない、実に殺風景な部屋である。
就寝してから半刻余りだろう。日毎に強まる夢の匂いを窓の外にも嗅いだ気がして、アスフェルは布団を跳ね除けるなり部屋の扉を押し開ける。空気が外からどっと入り込み、さっきの夢を彷彿とした。

清らかに流す春の、――。

夢の景色が脳裏をよぎる。
廊下というほど長くもなく、踊り場にしては狭すぎる通路が、夢に乱されるアスフェルを受けてきぃとかすかな軋みを立てた。後ろは客室、右も客室、左は傾斜の急な階段で正面に小さな窓がある。三歩目を出さないうちにもう突き当たり。二人並ぶにも辟易する狭苦しさは安宿ならではといえよう。
それを苦ではない物体として感じ取り、これが苦でなければ何になるのかをひたすら真面目に考察しきって、ある種の懐かしさであると思い至る頃には、アスフェルの緊張がほどけてもいた。
窓へ手を掛ける。錠だけはきっちり施されているのがまたこの宿に似つかわしい。
こうして小さなものにしがみつき、強欲なまでに所有権を得たがるなんて。まるで一時の……俺のようだ。
自嘲も虚しく闇夜へ溶ける。窓を開ければ木枠にこびりつく埃が飛んで、思わず瞼をぎゅっと閉ざした。肌寒い。けれど窓を塞ごうとはせず、押し入ってくる、するりと夜空へまぎれるものに、アスフェルはしばしその身を委ねる。

夢で感じるのよりも凍れる、――。

氷山を削いだ視線の尖端。焼けた鉄を凌駕する火口。
それはアスフェルを芯まで侵し、こうして夢で、あるいは幻で、休む猶予を与えない。記憶は月日とともに美化され腐敗もするが、どちらの極へ振れたとしてもその著しさが等しくアスフェルの躯幹を満たす。

――風。
風を統べる、君。

にゃあ、と下に聞こえなかったら、いつまでもそこへ突っ立っていただろう。
夢陽炎は掻き消えて、星一つない夜半の暗さが窓の向こうへ元通り。弾かれたように俯けば、宿屋で飼っているらしい白猫が脛へ胴をすり寄せてくる。
よりによって動物を徘徊させておくような安宿の猫にしては、白い毛並みに品があり、眼底の血を映ずる赤い瞳も透徹だ。そっと左腕を差し伸べてやる。猫が前足を掛けてくるのに合わせ、胸の高さへ抱き上げる。髭が真白に夜を切った。猫は背筋をしなやかに伸ばしてアスフェルの首へ鼻面を寄せる。
風の音が聞こえる。風の色が現れる。翡翠に強く輝く風を、アスフェルは彼の呼ぶ意志と取る。
胸中の猫が喉を鳴らすも無音の声を表したよう。顎で眉間を軽く撫でてやり、しかし遠くを見つめ続けて、アスフェルはこの風を受け止める。
もう何度呟いたかわからない名前。追い求める存在。事実と真実と運命と、風を従える、君。

必ず君を救い出すよ。
――ルック。





献上先:昭和ワルツさま→


熱いねぎかい同志(笑)こと小鳥遊要さまへ、相互リンク記念に捧げましてございます。
いただいたリクは「坊ルク」「3直前」。
「風」という単語を使わないで風を表現するのに凝ってみました、とかそんな言い訳で、文の端々に見え隠れする坊ルク度合いを必死に主張してみます…。
要さま、今後ともご迷惑をおかけしまくると思いますがどうぞ末永くよろしくお願いいたします!

20061213