眠らない家





「はい、五光に赤短、雨流れで鉄砲はなし」
「……あんた何かズルしてない?」
何度目かになる圧倒的な敗北を喫し、ルックはぽいと自札をテーブルへ放り投げた。最初の数日こそ段ボールを開けて収納してと引越し直後の雑事が多くあったものだが、ルックとアスフェルの二人ならすぐにすべて片がつく。恐ろしく整然と、居心地の非常に良い空間ができあがったのはほどなくで、同時にそこからふたりの苦悩も始まった。
ふたりは付き合ってからもう十一年目になる。初々しさとはそろそろ縁遠い月日が経ってしまったわけだが、性別をはじめとして多種の障害に阻まれ続けた二人は交際十一年目にしてようやく同居することと相成った。住まいはアスフェルの貯金で手配をし、愚図るルックの養母を説得するのも手慣れたもので、引越し自体はつい先日のこと、割と円滑につつがなく終えることができたのである。
……問題はその先であった。
ルックが、初々しすぎるのだ。特に就寝時と言えばあらかた想像はつくであろう。どうにか体を触らせまいと毎日こうして夜遅くまで花札に没頭する次第、ルックの苦悶とアスフェルの懊悩がお分かりいただけただろうか。
つまり、連日深夜二時を回るまでこいこいが続けられ、起床が朝の七時前だから二人は毎日五時間も眠れていないことになる。さらに低血圧のルックは毎朝なかなか布団から出られないのにアスフェルへ気を遣わせないよう無理しててきぱき起きている。ルックは心身ともに疲れきってしまい、見守るしかできないアスフェルも己が不甲斐なさをそろそろ罵る頃だった。
「もう一回」
「そんなに悔しいなら毎回ルックが親でいいよ」
「黙って札切りなよ」
今週頭、つまり日曜日に越してきてから今日でようやく一週間。土曜日の夜がルックにとって今まで以上の緊張を呼ぶことは察するに難くない。明日は休日。会社も休みだ。すなわち、これまで引越し初日を除いて五日間用いてきた、必殺「明日早いからさっさと寝よう」口実が今宵ばかりは使えないのである。
「あんた、タネなんて姑息なことはしないよね」
「するなと言うならタネも猪鹿蝶もしないけれど。ルックはモロにタンばかり集めてないか?」
「僕はいいの」
「……まあ、いいけれど」
ルックは大好きな紅茶を浴びるように飲んでカフェインをせっせと吸収している。朝まで寝ないつもりであろう。アスフェルもアスフェルでそんなルックへ無理強いできるほど逞しい男ではなく、さっきからウイスキーをちびちび呷りつつ花札に興じるふりをしている。
「あんた、そんだけ飲んでもまだ酔わないの?」
「まだボトル半分も開けてないだろう」
「……タン。六枚で二点」
――二人の微妙な均衡は、夜更けに鳴り響くチャイムによって破られた。





玄関ポーチへ立っていたのはアスフェルの親友の弟である。またはルックの数少ない友人ともいう。夜間はけっこう肌寒くなる四月初旬にも関わらず半袖のパジャマ姿で枕を抱えるいじらしい姿は、二人より十歳年上のはずだが良くて二十歳すれすれにしか見えないキキョウであった。
キキョウは涙ぐんでいる。アスフェルが玄関の扉を閉めるなり、珍しく長広舌でかくかくしかじかと我が身の不幸を訴えた。
「…だから、ひっく、泊めて」
「休前日に深夜料金のタクシーで乗りつけといてよく言うね。これで僕らが追い返したらどうにも後味悪いじゃない」
「元はといえばテッドが悪いんだよ、ルック。あんまりキキョウを攻めないでやってくれないか?」
「…アスぅぅうわあぁぁぁぁん」
「泣かないでよ五月蠅いったら」
「ルック、だからキキョウが悪いんじゃないだろう」
泣きじゃくるキキョウを抱きすくめてはあやすアスフェル、その構図に苛々と足で床を叩くルック。しかし二人の顔へふっと安堵の色が見え隠れするのを咎めることはできないだろう。キキョウがいれば今晩は相手を牽制したりしなくてよくなる。もう花札の賭け金を吊り上げたりしなくていいのだ。いや、金銭的なことは互いにさして問題でないから、少なくともルックが今すぐ安眠できる状況の訪れたことをアスフェルは不謹慎にも喜んだ。……我欲を思えば、本当に不謹慎なことである。
「ていうか幽霊なんか今さらじゃないの、あんた今まで何十年あの家に住んでんの」
「…でも、ひっく、テド兄が、っ、今日は出るってゆったぁぁぁ」
「よしよし。怖かったな」
アスフェルはキキョウを溺愛している。頬へ軽く口づけながら頭を撫でて宥めてやるのも家族同然の親愛ゆえだ。……に、違いない。
しかし、そうと分かっていても、目の前で恋人が横取りされれば冷静でいられないのがルックらしさである。ルックは棘々した視線でキキョウを睨み、次いでアスフェルも厳しく睨む。
「あんたも甘やかさないの!」
「甘やかしてはいないよ」
「どこが?!」
「…おばけやだぁぁ」
「よしよし。この家には出ないよ、もし出てもルックが追い払ってくれるからね」
「ちょっとあんた何勝手なこと言」
「…おはらい?」
「そう。こうやって九字を切って、臨兵闘者皆陣列在前、って」
「…ルー、すごい」
キキョウはどんな発言においてもその表面上の意味しか取ることができない。お世辞や誤魔化し、嘘も冗談すらも、それがどんなに矛盾していようとキキョウには真実として受け止められる。裏を勘繰ることができない、否、しない性質なのだ。
今もキキョウは心底感動した眼差しでルックをきらきら見つめて嘆じた。これでルックが強く出られるはずはない。
「……今日くらいはそういうことにしといてあげるよ。キキョウ、あんたが泣き止んだら魔除けのお札も書いたげる」
「…うん」
そうと決まればキキョウはほわんと緩く笑み、いそいそとリビングへ向かうと枕をソファの上へ置いて飛び乗った。ここで眠るつもりらしい。ルックが目配せしたのに応え、アスフェルはクッションのように大きい枕をキキョウの下から引っ張り上げる。
「ルックがホットミルクを作ってくれるから、その間に枕を寝室へ持って行こうか。三人で一緒に寝れば平気だよ」
「…うん」
安心しきってキキョウが頷く。
キキョウは遊びが大好きだ。兄と同様、鬼ごっこからウインドウショッピングまで「遊び」の定義は幅広い。涙を拭いたその目がすかさずテーブルに散らされた花札へ向いたのを、何となく二人して嫌な予感と捉えたわけだが。
……予感はやはり、外れなかった。





開け放ったカーテンからさらさらと白い光が降り注ぐ。
咲き始めた桜の香り。透明に張り詰める空気。けばけばしくも美しいネオンが都心のビル街へ朝日の銀灰色に鎮まる眺望。
――朝である。
テーブルでうとうと船を漕ぐキキョウを目の端に、ルックはどっさり折り込み広告の入った新聞を広げていた。乱視の気があるルックは細かい字を読むときだけ眼鏡を掛ける。そうすると途端に鋭い眼光が弱められ、長い睫毛に覆われた瞳と繊細な顔立ちが旭日を受けて際立った。縁のない、ほっそりしたデザインの眼鏡はアスフェルがルックへ贈ったものである。
「眠くない?」
アスフェルが問うと、ルックは憮然とした面持ちでキッチンを睨み上げた。眼鏡越しではあまり効果がないとまだ分かっていないのだろう。二人分のマグカップと自分の使ったグラスを洗いながら、アスフェルは翡翠の瞳と視線を交わす。碧海に揺らめく色合いは眼鏡に遮られて窺えない。あふ、とルックが小さく欠伸をし、目尻が涙で薄ら潤んだ。
「眠いけど。今日は食材買うだけでいいんじゃない? なら平気」
「延長コードと食器棚の中に敷くクロス。欲しいって言ってなかったか?」
「うん。言ったね。あと……それくらいかな」
朝のルックは大人しい。眠いからだ。日によっては頭痛に苛まれることもあり、そのたびアスフェルははらはらさせられて、薬嫌いのルックが少しでも楽になるよう低血圧に効くというお茶を淹れたりツボを揉んでやったりしていたように思う。……大学時代までの話だ。社会人になってからは、社内ですれ違う時にようやく呼び止めて休ませるくらいしかできなかった。
これからはもっと早く異常に気づいてあげられる。それがどれだけ嬉しいことか、ルックはやっぱりまだ分かってくれていないのだろう。
毎晩無理はしなくていいから。欲しいのはルックの体じゃなくて、ルックの存在がそばにあることだから。――体の接触をすべていらないと言い切れないのは惚れた弱みと男の性だ。
「キキョウが起きたら買い物に行こうか」
「ベッドへ運んであげたら?」
「……仕方ない」
アスフェルは濡れた手を軽く払うとテーブルへ歩んだ。キキョウの脇へ腕を差し入れ、ずるりと上半身を持ち上げる。身長はアスフェルと同じくらいだからそう簡単に抱えられはしない。だが何とか引き摺れそうだ。キキョウは完璧に熟睡していて、これだけ動かしても起きる気配が見られない。
「ルック」
「何、手伝えって?」
「こっち向いて」
「……ッ」
言いざま掠め取られたキスに、ルックが思わず頬を真っ赤にのぼせ上げたのは……それだけで、満足なのだとアスフェルを微笑ませるのに充分であった。
キキョウはだらんと首を垂らして安らいでいる。アスフェルが本当に幸せそうな笑顔を見せる。叶わない、とルックが思ったかは定かでないが、眼鏡をそっと外してみせたのはもう少し構って欲しがるおねだり以外の何者でもない。
だって、眼鏡が邪魔になる。
同居して二度目の日曜日、ルックがようやくアスフェルの腕を自ら掴んだ瞬間だった。







ありがたくも1万6千ニアhitにいただきましたリクエストは「リーマンものでプラス四ちゃんの新婚らぶいちゃ」「ネクタイと眼鏡が大好きなので社内とかもいいなぁ…」でした。
後半をばっさり無視してごめんなさい、よんが会社に来たら大混乱でした!(笑)
何とか申し訳程度に「眼鏡」を反映させてみましたが、皆様の予想と期待を裏切りぼつんではなくルックが着用です。
ぼつんは容姿で騒がれたくないときに度なし眼鏡と帽子で顔隠して行くんだけど隠せてないみたいな感じです、主にシーナと飲む時ですよ。
そういえばいつものオチは…ない方がまとまった気がしたので…。

20060930