僕は影からただ見るだけだ。
カイルが女の子に声をかける。
かわいいねー、とか言っちゃって、オレ今日も寝るとこないんだよね、なんて、自室が不必要だって言ったのはそっちなのに何て身勝手。
カイルに手を取られる補給部隊だかどこだかに入りたての女の子も、やだぁとくねらせる声音がすでにまんざらじゃなさそうだ。
カイルは笑う。
女の子も微笑み返す。
女の子の腕がカイルにしどけなく絡む。
そのまま二人、階下へ消える。
僕は、ずっと、我慢していた。
カイルが好きなんじゃない。
お兄さんみたいで、女王騎士で、気さくで、優しくて、意外と甘えん坊なところもあって、……男、だ。
防御壁は作るそばから容易く崩れ、崩れた上からより強固たる禁制が鉄条網のように張り巡らされる。
僕の心はちくちく痛み、僕はそれでも手放さない。
だってカイルが。
僕は、カイルが――。
「お前な、そりゃ無理だろ、一般的によ」
「……ひどい」
「誰が!? 俺か!? ほんっとにお前駄目王子だな、相手は臣……ええと、何つうんだっけ、そう臣下!! 臣下なんだろ?」
「僕のじゃない。女王の臣下だよ」
「どっちでもいいじゃねぇか。とにかく向こうがお前をどーこーしようなんざ不敬罪どころじゃすまねぇだろが、山賊が王子の真似して捕らわれるのと一緒だろ。――馬鹿野郎」
ロイに横っ面を張り飛ばされる。
実際に殴られるよりずっと堪える。
僕は思い切り力を込めてロイの首元へ縋りついた。
「引っ付くな! うっとーしーなお前!!」
「……泣きそう」
「知らねーよ馬鹿!!」
ロイは僕の肩を押しのけた。
僕は両手で目鼻を覆う。
我慢するのは慣れている。
王宮において耐え忍ぶことは日常茶飯事なんだから、たいていぐっと目元に力を込めればすぐに凪ぐ。
――だけど。
だけど今夜ばかりはそうもいかなくて。
我慢しきれず溢れる我慢、僕の喉から転がった。
「すきなんだ……」
僕の寝室は防音がきくから、外で待機する見張りにも侍女たちにも、僕の嗚咽は届かない。
それを知るロイは徹底的に僕を泣かそうと心決めたらしく、きつく僕を抱きしめてきた。
僕はみっともなく涙を流す。
「あのな、俺うっかりリヒャルトも呼んじまったんだ。もうすぐ酒担いでここへ来るしよ、……その、何だ、まぁあれだ。飲もうぜ」
「外の警備に言ってない……」
「だーじょーぶ、窓から来るってよ」
「不法侵にゅ……ひっく」
「おーじー、ローイー、開けてー」
「大声出すな馬鹿剣王!!」
僕のしゃくり上げる音に混ざって窓ガラスを遠慮なくぶっ叩く拳が見えて、途端にロイは毛を逆立てた。
本当に、猫みたいに、ロイは瞳孔をすっと細める。
僕と同じような造作なのにどうしてロイは精彩に満ちて見えるんだろう。
すると連鎖反応、同じようにいつもきらきらと輝いて見える金の毛髪が思い出されて、僕は窓から部屋へ上がりこんできたリヒャルトの毛先をやにわにぎりっと掴み握った。
悔しい。
カイルにはこの手が届かない。
ねえカイル、もし僕が王子じゃなくて女の子だったなら。
カイルは僕を口説いてくれた?
「今日はテイラーさんからもらってきたイモだよー」
リヒャルトは間違っても痛いなどと口走らない。
持ってた瓶の中身、どうやら芋焼酎であるらしいそれを勢いよくグラスへ注ぎ、まずは自分がぐいと飲む。
リヒャルトの顎が動くのを見て僕はようやく金髪から手を退けた。
「ミューラーさんもね、よく、そうやって引っ張るんだよ。アイジョーヒョーゲーってヴィルヘルムさんは言ってたけど、ちょっと、おかしいよね」
「ゲンだろ馬鹿、かなり充分おかしいっつの」
「ロイも長いから引っ張られる?」
「られねーよ! んっとに馬鹿だなお前、つうか王子も、お前ら……救いようねぇな」
「ひどいー」
「……ひどい」
リヒャルトと僕の声はまったく違う色で重なり、奇妙な形で融和して、まるで水溜りに落ちる雫のごとき、ひどく綺麗な旋律と思えた。
僕はリヒャルトからグラスをひったくる。
ロイが再び僕の頭を引き寄せる。
僕は飲んでひとしきり泣いて、リヒャルトが話す不可解な傭兵譚、ロイの自慢する貧しい世間を子守唄にした。
ただ友の労わりが温かかった。
夢は、目の醒めるような黄金で染まっていた。