どうせオレは影武者だ、と、冗談交じりに吐き捨てた。――カノンがあんなに怒るだなんて、そんときゃ思いもしなかった。
「しばらくは許したくないよ」
翌日の昼を過ぎてもまぁだ拗ねてる幼稚なカノン。オレも素直にゃ謝れなくて、いい加減キゲン直せよ、などと誤魔化した言い方でしか、カノンに話しかけられなかった。
カノンはそれでも拗ねている。先へ進む足を止めずにオレへひとこと吐き捨てる。……その仕草、昨日のオレと似てねぇか?
オレから顔を背けたかったか、カノンは突如、背後に従うリオンへちらと視線を送る。心得顔で頷くリオンはオレに瞬きひとつもくれない。カノンの背にはそうさせるだけのものがある。
「あのよ、」
「ロイの馬鹿」
言い募ろうとしたオレを、カノンは容赦なく遮った。
「ロイは僕がどんな気持ちになったか考えてもくれないの? 僕の代わりって僕が言われて、そんなの、僕が、……ロイが」
カノンは小さく唾を飲む。飲んだのはそれだけじゃない。カノンがふわりと背に芳香を醸し出し、セラス湖城から湖上を渡って西岸へ掛かる長い吊り橋のあと六歩で岸へ辿り着くところまで、カノンは決して休めなかった足取りを、今、ようやく、不安定な一枚の板へまるで踵を縫われた影法師のようにぎこちない接点をもって留める。
二枚後ろにオレ。さらに三枚後ろへリオン。三人並べる広さはあれど、なぜか縦一列に連なるオレら。互いの立場と心情をそれぞれの板が如実に示す。
カノンはきゅっと呟いた。
「……僕のせいでロイがいなくなったら、悲しいのは僕だ」
知らねぇよ!
オレは咄嗟に心で叫んだ。カノンにとってその悲嘆がいかに小さい感傷であるか。オレがカノンの代わりに死ぬことだけじゃない、今この瞬間さえもオレの個性がカノンに押しつぶされていること、カノンは言及さえしない。
……だけど、カノンが。
振り向きざまカノンがオレの肩を引き寄せて、オレをきつく抱きすくめるから。
オレは思ってもないことを、オレが悪かった、を口にした。カノンはううんとオレをぎゅうぎゅう抱きながら言った。仲直りのしかたがオレらは無茶苦茶ヘタクソだ。まさに不器用な体当たり。
あ、こいつ、今オレの肩へ圧し掛かってちょっとだけ背伸びしてやがる。じゃないとオレを包むようには抱けないからだ。湖面の照り返しにやられてだろうか、カノンの肩甲骨は少しだけ日に焼けていて、だがカノンの高貴な皮膚は黒くならずに剥けている。疲れがたまって肌が乾燥しているのかもしれない。お前が体壊さないようにオレがいるんだっつの。オレの変わりはわんさかいてもお前の代わりはなかなかいないんだっつうの。ルセリナはお前っきゃ見てねぇし、リオンもカノンの背中ばかり見ている。どうせオレは影武者だ。
むくむく膨らむカノンへの罵詈雑言は結局カノンを慕うゆえ。オレは何だか悲しくなった。違う、オレは切なくなった。オレはカノンの背中を抱いた。オレはカノンに凭れかかった。
カノンの匂いが鼻をくすぐる。カノンの部屋でたまに焚かれる香の匂いだ。オレらの立つ板は今にもみしりと裂けそうで、しかし強固に橋を形作る一片であり、六歩先の岸辺に花が咲いていて、湖へと切り立った崖は赤茶色の湿った土で、オレはカノンの背中越しに世界をぐるりと見回して。切ない、とやはり思った。
だって、オレは。……オレは、カノンのことが好きなんだ。
けれど絶対カノンに言ってやれなかった。