彼の話を聞く時は、どこか童心に返る心地を伴うことが常である。
「でよー、雷禅のクソオヤジが死ぬほど強くてよー! 死にかけのくせにオレぁ何度も死ぬ寸前までオとされたぜ。でも一度でいいからあいつが全盛の時に闘ってみたかったよなー」
「それこそ本当に死にますよ」
「けど蔵馬も興味あんだろ? 仙水なんかメじゃねぇぜ」
「でしょうね」
幽助が話すのは専ら闘いのことである。場所が魔界に変わったところで、そして彼が魔族として目覚めたところでさえ、この格闘好きは一生変わらないのだろう。そして当然、蔵馬自身もその一人であることを否定できない。つまり、二人の話題がそっちにばかり傾倒するのは、半ば暗黙の了解である。
「そういや、おふくろさん、どうよ?」
幽助がひょいと目を丸く見開いて、こちらの顔を窺ってきた。再婚したばかりである母の件だ。
あっけらかんと家族へ告げた幽助と違い、蔵馬は当初、両親に気づかれぬよう夏休みの間だけ魔界へ滞在することになっていた。だがもう夏休みは終わってしまい、以降、きちんと高校へ通いながら土日等連休を使っては魔界と自宅を往復する羽目になっている。幽助の無茶な提案がなかったら、さらにそれが魔界全土を引っくり返すものでなければ、人間と魔族との掛け持ちを続けることは蔵馬にとっておよそ困難だったろう。魔界は黄泉対躯の全面戦争へ陥る予定だったのだから。
意外なところで気遣いのさりげない幽助へ、蔵馬は照れ笑いを返した。
「ええ、そりゃあもう。おかげで、しょっちゅうこちらへ来ていてもあまり怪しまれないですよ」
「そっか。じゃあ新しいオヤジさんともうまくいってんだな」
「割とね」
「しかしよ、毎回何つって家を出てきてんだ?」
「海藤の家で勉強合宿、とか」
「うげー。魔界に来てるっつうよかずっとリアルに想像できちまうなー」
幽助が呻く。魔界の空洞に際立つような、あまりに人間くさい響きだ。
魔界の風は気だるく、重く、四季の変化もあまりない。特に黄泉の治めるこの地域は日がな一日中薄暗い雲が張り詰めていることも多く、幽助の乾いた朗らかな声は、いつまで経ってもまったくなじみそうになかった。もちろんそれでいいのだ。幽助は魔界の空気程度に馴らされる男ではない。
(……あ、)
時折稲妻の走る不穏な景色を眺めやる背がまた少し伸びていること、ぴったり隣に座っていながら蔵馬はようやく気がついた。横顔や腕の細かい傷はまた少し増えていて、だがすぐに以前より強まった自己治癒力のおかげで跡形もなくなるだろう。
そのうち身長も抜かされる日がくるかもしれない。魔界の風は余計な危機感を抱かせるに足る陰気さだ。
「――実は、安心してる」
蔵馬の視線に気づいたものか、唐突に、幽助の声が低くなった。
「こっち来るって決めてからよ、しばらくみんなに会えねぇのが何となく、寂しいっつうか、んー、そういうんじゃねぇけど」
真面目な話ほど曖昧になる幽助だ。鼻の頭を掻きやって、言葉を探しあぐねては無作法に舌打ちをする。適切な言葉が思い浮かばないのだろう。
言いたいことは推測できた。それが蔵馬の言って欲しいことと同一ではなさそうなのも。となれば蔵馬はしばらく悩まなければならない。すなわち、幽助を誘導するかどうかである。国内の会話はすべて聴覚に入るという黄泉に悟られても構うものか。
蔵馬は慎重に幽助へ問うた。
「みんな、ですか?」
「ん、みんなっつうか、桑原とか螢子とか、おふくろ、ぼたん、ばーさん、コエンマ、……」
煙草が吸いたそうに懐をまさぐって、ぴんと指で空気を弾く。魔界に来ても変わらない幽助の癖。この時、煙草を勧めてはいけないのも暗黙の了解とされていた。煙草はいつからかぴたりとやめてしまったのだ。ただし、元からそんなに吸う方ではなかったのだという。肺活量が落ちるから、と本人が嘯いていたのを蔵馬は脳裏に思い返した。実際は幼なじみに止められてらしいことを蔵馬はちゃんと知っている。自分に入り込めない過去の、何と羨ましいことか。
幽助はしばらく遠雷を見遣り、そしてようやく、さっきから同じものだけを見つめている蔵馬に向き合った。
「……蔵馬にも、しばらく会えないと思ってたからよ」
まさか黄泉に誘われてっとは思わねーし、と、言い訳めいた非難の一種は幽助の口に留まってしまった。身勝手な主張だと分かっているのだ。むしろ言ってこそ欲しいのに。
すぐに逸らされる、妙に気まずげな幽助の、顎ごと目線を掬い上げる。困惑しきった顔を見つめる。しくじった、と幽助の目が乾いた溜息を落としている。だけど蔵馬を待っている。――ように、今の蔵馬には思えた。
目を閉じるのは蔵馬からで、それが二人の暗黙の合図となっている。幽助が慌てて瞼を下ろす時、いつもどこか上方へ眼を動かすのも暗黙のこと。もし互いが敵になるなら容赦しないのも本当のことで、だがそれはあり得ない仮定であることを信じているのも暗黙のうちの真実だ。
触れ合う寸前に舌先でそこを舐めるのも、蔵馬がただのキスで終わらせたくないと願うゆえの、暗黙に秘められた文だった。