「ねぇ、アスフェル」
耳朶へ忍び込む、錦糸よりもずっと丹念に紡がれた甘い誘惑を、アスフェルは震える項で確かめる。
己が名にこうまで扇情的な韻を感ずることなどこの尊大にして敬虔、無垢の裏側に絶望を併発せしめる唯一無二の翡翠をおいて、この地上のどこへ在ろうか。
「早く……、も、待てない」
熱っぽい吐息、鼻孔を撫でるは熟した蜜香。
視界が眩む。
芯が蠢く。
「……ルックが悪いんだよ……?」
上唇を舐めれば了の意に、ルックは自ら釦を取って――
「あぁんアスフェルぅ! そんなにしたら腰がくだけちゃうぅ!」
「……ゆ、」
夢、と口中に呟いていたようだった。
「イエスオフコース、残念ながらこっちが現実。夢から還ったただいま及びめくるめく現世へおはようの挨拶をせねばならない時間だぜ。にしても朝寝坊たぁ良い身分だな、マクドール家の御嫡男殿?」
「……テッ……」
「テッド様のモーニング奇襲ハグでどうやら妄想度百割増なとこ悪ぃんだけどな」
アスフェルのベッドへ勝手に潜り込んでいるどころか、ちゃっかり枕も奪われている。
十七歳も年上の親友はしてやったりという飛びっきりの笑顔でアスフェルへ覆いかぶさってきた。
「……耳……噛んだだろう」
「あーんま気持ちよさそーに熟睡してっからさー。ちょっとした悪戯心? それより俺の仕事が先だ、はいパジャマ脱ぐ! こいつ着る!」
言い終わるなりばさっと頭上へ布地の嵐だ。
糊の効いた白衣の次は黒いシックなタートルネック、ご丁寧にベルトを通した同色下ろし立てのスラックス。
絆創膏、ティッシュ、綿棒に聴診器、何と銀ブチ眼鏡まで白衣のポケットへ突っ込んである。
主にベルトと聴診器の金具が額へごつごつ振ってきて、アスフェルは非情な仕打ちの目覚まし時計にただくぐもった呻きを上げた。
渋々白衣へ袖を通し、欠伸をひとつ、噛み殺す。
靴下のサイズまでぴったりだ。
――じゃなかった。
「テッド。……白衣って」
「本日の任務、どどん潜・入・調・査! レッツ女子校!!」
「じゃ」
「逃げんなアスフェル、ルックにバラすぞ!」
「……何を」
「今朝の夢、すごかったんだよなぁ? 証拠がないなんて戯言を吐くなよ、寝言はばっちり録音済みだ」
「……渡せ」
こうして今日も、アスフェルはテッドにこき使われる。
中学三年受験生、勉強のべの字も出てこないまま、暦は霜月へ移行した。