強い風が髪を乱した。
台風が近づいていると聞いたから、それでこんなにも風が吹くのだろうか。ルックは首をふるりと振って頭上に伸びる雲を見上げた。夕陽はとうに沈んでしまい、空は薄ら茜色の名残と忍び寄る緑青を混ぜ結わえるように鰯雲が漂っている。足元の影は淡くて長い。長い秋の始まりだ。
「あれ、ルック?」
背後に同級生の声を聞き、ルックは首を後ろへ向けた。
中学に上がってクラスは今までの倍に増え、半数以上がルックの知らない顔である。近辺の小学校二つ分が合わさったから当然といえばその通りだが、もともと小学校でも人の顔を覚えようとしなかったルックにとって、どいつがどっちの小学校だか判別するのは易しくない。そして中学に入ってもルックはクラスメイトすら覚えようとしないので、二学期に入った今でも名前と顔がほとんど一致していなかった。
――後ろのこいつを除いて、だ。
やたら目立つ容貌にやたら目立つ言動、人目を惹いてやまないこの少年は、あまりに日常から浮きすぎていて早くも入学式の間に忘れられなくなっていた。大財閥がどうとかいろいろ聞いたがそちらはあまり覚えていない。とにかく金持ちの坊ちゃんだ。
「今帰り? 吹奏楽、忙しそうだな」
少年は、名をアスフェルと言う。
犬の散歩中だ。立派な犬を連れていて、アスフェルが立ち止まったのに応じぴたりとその場へお座りをした。それだけで犬がかなり利発であることを見て取れる。
ルックは答えず中腰になって犬の目を見た。ルックは犬の種類に詳しくないが、茶色の毛並みが非常に美しい大型犬だ。素直そうな彩り、冷静な性格。いい犬だ、と心に思う。
ルックは動物ならたいてい目を見ただけで意思を通じさせることができる。犬はルックの賛辞を喜びぱたりと尻尾を大きく振った。
「……グレッグ? ルックを気に入ったのか?」
アスフェルが素っ頓狂な声を出す。犬の名はグレッグというらしい。……いや、本当はもっと長いのか? 犬がルックをそう見つめている。
「グレッグ、何?」
ルックは犬へ問うていた。無意識だ。もちろん犬には答えられないので代わりにアスフェルが教えてよこす。
「ミンスター。本当はグレッグミンスターっていうんだけれど。何で分かった?」
人間へ答えてやるつもりは毛頭ない。ルックは無視して犬の喉を撫でた。グレッグが気持ちよさそうに目を細める。尻尾がそよそよ左右へ動く。
「……珍しい」
アスフェルの呟いたのは犬とルック両方に向けてだが、ルックは前者にしか解さなかった。鞄を脇へ置きながらしゃがみ込むなりグレッグの頭を両手であやし、そっと口の端を緩ませる。
アスフェルは驚いた。学校で一度も見せたことのない表情だ。いつもルックはつんけんしていて、他の級友が持つような日常とはかけ離れた雰囲気を持っている。それは例えるなら研ぎ澄まされた刃より鋭く強く、原石のままのダイヤモンドよりもなお凛々しい。アスフェルはそんな凍りつく孤独を他に知らない。
グレッグが鼻の頭をルックの頬へすり寄せた。人懐こいがアスフェルの許可なく他者へ気を許したりはしない犬だ。ルックの目線が一度伏せられ、グレッグを受け入れたことを直に伝える。
いい飼い主だ、とルックは思った。グレッグが尻尾で同意を示した。
同時にアスフェルもルックへ見蕩れていたのだったが、グレッグは反応せずルックへ甘えることにした。そうすれば、もう少し長くあるじがルックの側にいられるからだった。