街中を歩くのが好きだった。
今になって分析するなら、ちやほやされるのが心地よかったとか王族としての実感が持てたとか、そういうくだらない理由が大半を占めていたように思う。けれど決してそれだけではない。もうひとつ、当時の僕が最も重要と考えていた、ある大きな理由がちゃんとあったのだ。
「王子ー、またお散歩ですかー?」
僕にとって憧れの、という表現にとどめておくが、兄貴分である女王騎士カイルが橋の向こう側を歩いていた。隣には街の女の子。どこかの店の給仕だろうか、木綿の白いシンプルなエプロンが笑顔に似合う女性だった。
「カイルこそ。またサボり?」
「今日は夕方まで非番でーす」
ソルファレナの市街地をぶらつくときでもカイルは女王騎士の装束を着けたままであることが多い。そして、のどかな街にその鎧はいささか不釣り合いである。だが、カイルの態度や民の視線は、カイルをここへ違和感なく溶け込ませていた。カイルの性質自体が王宮などよりずっとこちらへ近いのだ。
隣の女の子を待たせ、カイルはささっと僕の耳元へ駆け寄ってくる。
「もう酒場へ行かれました? 最近入った調理場の子がですね、すっごくかわいいんですよー」
「そうなんだ」
「スレンダー系なのに幼い顔立ちの、ソルファレナにはあんまり見ないタイプですね。住み込みみたいで、私室が、通りから真裏の小窓、分かります? 覗くならそうっとですよ、そうっと!」
「はいはい」
僕は適当に相槌を打った。
カイルはこれでも僕へいっぱしの情操教育を施しているつもりらしい。だが実のところ、僕は、まったくといっていいほどそちらに興味を持てなかった。またその必要もないと思う。僕は王子、王族だ。
聡いカイルがその辺りを察していないはずがない。だからカイルは、僕に庶民らしさがない状態であることを憂えていたのかもしれなかった。あるいは、カイルは年近く身分遠い僕にどんな会話を向けたらいいか悩んでいたのかもしれない。どちらにせよ、僕に対してほかの女王騎士と同じような接し方をしたくないらしいことだけが、僕の唯一確信を持てていた事実である。
「じゃ、王子。リオンちゃんもごくろーさまー」
僕の護衛へぴらりと片手を軽く一振り、カイルは屈託なく笑う。僕にはウインクをぽんと放り投げた。行ってこい、の意味だろう。僕は苦笑するしかない。
それから一度も振り返らずに小走りで橋の向こうへ待たせた女の子の横に戻るカイルを、僕は、いつまでも見送っていた。軽く汗をかいていた。もちろん酒場へは寄らなかった。
僕は、今になって、当時のカイルをまざまざと思い出す。もう昔のような淡い気持ちを彼に覚えることもなく、けれど彼に関する記憶は少しも薄れることがない。僕はけっこう粘着質なのだろう。
ソルファレナとは似ても似つかぬ田舎町、僕が仰いだ空へ浮かぶは、あの時と同じ、ぎらぎら輝く太陽だった。